八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.254


【掲載:2024/01/18(木曜日)】

やいま千思万想(第254回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

この国は私たち国民が作っているのです。皆で〈良い国づくり〉をしませんか

 少し前に「自助・共助・公助」というフレーズが話題になりました。
最近は以前より増して、「公助」に期待が持てなくなり、「共助」も〈制限〉、行動に移そうとすると〈ディスられる〉ことになります。
それは一層、個人の責任となる「自助」が当たり前のようになったということです。
(SNS上の〈ディスる〉とは匿名で汚く相手を否定する、侮辱する、批判する、けなす事ですね。
語源は英語のdisrespect(dis-respect ディスリスペクト)の略語)です。
なぜそんなことが行われるのか?思考が止まります。

 地震災害や津波災害に「自助」を求めるとは何と言う薄情な思いか。
いや、感情的な表現でなく書くと「こんな執政、災害対策は間違っているでしょう!」、国全体で助けましょうよ!
何のための税金なのか。被災者に対して十分な税金を充ててこそ手を差し伸べることができます。
これは現在では「共助」に優れていた日本人が劣化していることの表れです!他国の人々の方が余程「人情に厚い」。
我が国では隠蔽体質、報道の無さ、政治への不信感が顕著に示されています。
もう何処を見てもため息ばかり、絶望的景色です。
国民が政治の無能さに気づき、意見を発し、「否!」を示さなければ本当にこの国は滅亡の途を辿るのは必至です。

 「怒り」についてもう一度書きます。
私の怒りは個人的な攻撃、罵詈雑言(ばりぞうごん)とはなりません。
例えケンカやノノシり、信条の違いがあったとしても絶対にその個人に対して怒りが湧くことはありません。
しかし、嘘をつき、それを蔓延させ、稚拙な言い訳をして、謝らず、なお自己利益、自己保身に繋がる行動しか取れないとなれば、
これこそ「怒り」の矛先です。
また取り巻く人々も、それに手を貸すように黙り、曖昧にし、許したことになる無関心を装う姑息な態度を取れば、
私は周りに対してもまた怒りに溢れるでしょう。
事が起こって「良くない結果」が出ていても、何も無かったように黙り、その原因を探り弾糾しない国民。
それは〈おおらかさ〉なのでしょうか?その無責任ぶりって何なのでしょう?
国民性と言ってしまえばそれまでですが、それで良いわけはありません。

 一緒に考えてみませんか?今、世の中で何が行われ、行われていないのかを。何をすれば良いのかを。
これからも何度でも書きましょう。
個人や仲間たちの利益追求に邁進するのでなく、「皆の利益となる、《全ての人が平安で安心できる国づくり〙を考え、
試行錯誤を重ねて行く道を選ぶ」という事を。
災害対策を急がなければなりません。それは政権がやらなければならない骨幹、早急の努めです。
国防とは先ず国民の生命と財産を保証することが優先事項のはず。
国民を守らずして何が国防ですか。
殺傷兵器より国民の命を蔑(ないがし)ろにしない機器を作り作動させる。
この国を良くするのも、悪くするのも国会議員。
その議員は私たちが選挙で選ぶのです。
選んだのは私たちです。
その責任は大きいはずです。





戻る戻る ホームホーム 次へ次へ