八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.255


【掲載:2024/02/01(木曜日)】

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「憎しみ」「復讐」の連鎖を断ち切って「智ある人類」と成るのでは

 日本人は「戦争好き」なのでしょうか。
そして人生の価値観は「お金と権威」が最優先なのでしょうか。
そこそこ人生を過ごしてきましたが、どうもこの辺りが私のネックに成っているようです。
「お金と権威」を否定しようとは思いません。
貧しいよりは富んでいるほうが良いに決まっています。
ただ、それに走って周りに目が届かないということであるならば、いつしか何らかの形でしっぺ返しが来る可能性があります。
ずっと安泰というわけには行かない、それが歴史が教える教訓です。
でも、この問題を深く追求すると、ちょっと危ない論争になりかねません。

 自由主義かそれとも・・・。資本主義か・・・・。今も盛んにSNS上で論戦が交わされています。
しかし、その対立自体前提が成り立っていないと思うのですね。
それぞれの言葉の定義が解っていて論戦しているようには思われません。見えません。
この定義、そんな単純なものではないです。
これこそ最初に教わるべき教育課題だと思うのですが、我が国では一律に教えられていないです。
さて、「戦争好き」については書きづらいですね。
しかし全人類は、いや、そもそもホモ・サピエンスは「戦争好き」だったのではないかと思うようになりました。
そうでないと今の地球上で行われている紛争や様々な対立、抗争の説明がつきません。
ホモ・サピエンスが地球上に蔓延(はびこ)っていくなかで、殺戮がなかった時代はないのですから。

 最新の興味ある報告では、アフリカから南回りで日本列島に住み着いた人々(これを我が国での縄文人と呼ぶようです)
は傷つけ合うような闘い(少なくとも人殺し)はなかったのではないかとの研究があります。
島国ゆえ(四方が海に囲まれていて自然の要塞が築かれていた)。
ただ大陸からの侵入を防いでいた時代だけですが。

 その後大陸から人々が移り住んで、殺戮が始まったとみられています。
一つ、我が国に特徴的な事柄があります。つまり我が国は実質、他国との戦争に負けたことがない、ということです。
「敵側」によって命や人間としての尊厳、自由を奪われるという歴史が無かった。
残虐な「人殺し」を目前で見ることが無かった。
本国での決戦、殺戮が無かった(沖縄だけが悲惨で残酷な戦争体験をしたのです!)。
我が国の「戦争」は、国の政策と国民の無知による熱狂だったといってよいでしょう。

 現在、目にする記事や映像は私たちが経験したことのない毎日、それが地球上で行われている現実です。
それらを直視すれば、人類は「闘争」が好き、「戦争」が好きなんですね。
私たちはもともと「戦争」を知らなかった。
それをわざわざ「戦争」へと導く道を選ばなくても良いのではないか。
戦争をし続けていた地球上の国々と同じレベルに墜ちなくても良いのではないか。
そう主張、叫びたいですね。
全ては「不安・恐怖」「不信」が原因でしょう。
しかし、だからといって「人を殺して身を守る」で良し、とは成りません。
その復讐の連鎖を断ち切ってこそ「[智]の人類」となります。
日本には復讐すべき相手国など無いはずです!





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