八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.256


【掲載:2024/02/15(木曜日)】

やいま千思万想(第256回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

現状の終焉は、さてどちらに向かうのでしょう??

 私たちの時代はそろそろ終焉を迎えているのでしょうか?
私はそう信じたい(良い方向で、ですよ)。
「嘘をついてはいけない」「人の物を盗んではいけない」「人の尊厳をおとしめてはならない」「命を軽んじてはならない」
という私が教えられてきたことが平気で犯されている。
その風景、世の中を見渡せばそこかしこに蔓延(はびこ)っている。

 皆、それを容認しているのか、「否」なのかがハッキリせず、民意を示すアンケートとやらでも数字にはしっかりと「否」とは示されない結果が出る。
もう、一体これは何が起こっているのか。これまでの「価値観・倫理観」が終焉なのか?
現在に蔓延っている世相 を「是(ぜ)」とする、とんでもない新しい秩序が生まれようとしているのか?
私には劇的な瞬間が訪れようとしている風に見えるのですが、なんと静かな時が流れていることか。
かえってこれは不気味さを増していると感じるのですね。ここから、私の切実な意見です!
もう、今の歪んだ「価値観・倫理観」を終わらせませんか!

 やはり、「嘘をついてはいけない」「人の物を盗んではいけない」「人の尊厳をおとしめてはならない」
「命を軽んじてはいけない」は守るべき人間にとっての約束事にしませんか?
どんなに頑丈な壁であっても、小さな針の穴を見逃してしまえば破壊へと繋がる。
小さな罪も大きくなりすぎると罪ではなくなる(例えば、戦争はまさにそれで、人殺しは罪でも戦争では罪ではなくなり正義となる)、
そんな可笑しな事止めにしませんか?
小さな事、頻繁ではない事にもしっかり対処する、ダメなものはダメだと一人一人が判断を下す。
そうしないで時を経れば、取り返しのつかない事態(つまり、現代。そして壊滅的)になってしまう。
いや、もうなってしまった。

 改めて思うのですね。私たちの向かうべき姿は多くの意見(もちろん反対意見も!)が取り入れられたもので有るべき、と。
それは選挙という制度で達成できます。
しかし、どこかの国の話ですが、「独裁的体制を強いるべく、選挙での対立候補者を立てさせない」なんてことは論外。
親しいご近所の人が皆から薦められて選挙に出る、なんてことになればこの国は他国から注目される良い国になること間違い無しです。
今の選挙制度では、現在顕われている様々な問題を解決する手段には成り得ません。
だって、選挙にでる人のことほとんど知らないのですから。
組織によって推薦されている人ばかりで決められる事は利権がからむこと必至です。
いま、正にその状況だと思うのですが、如何でしょう。
顔が見える距離感で政(まつり)ごとに参加して欲しい。
信じてこその候補者ですし、意見も広く反映できると思います。
為政者とその他大勢の対立的構図ではダメですよね。
それは結局、差別や格差を生んでしまう。
その他大勢と為政者とが密接にコミュニケーションをとり、沢山の意見を汲み取った政策を確認しながら進めていく、というのが有るべき姿だと思います。
さて、終焉はどちらへと?





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