八重山毎日新聞社コラム
日本は本当に「変化」を嫌がる国民性ですね。(どのような「変化」であるかは問題ですが)
【掲載:2024/06/06(木曜日)】
やいま千思万想(第264回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
「変化」を恐れず、先を読む人になりませんか?
変化することで人間は進化、成長してきたと思うのですが、それを嫌って「変化」を拒絶する。
変な国、日本です。でも一部の人はこれを文化・伝統と呼び大切にと説くわけです。
よく考えてみれば、これは生活する人たちが欲したことなのでしょうか、この国で生活を営んできた民が。
この国が閉じていた時期(鎖国と一般的に呼ばれていた期間)の名残りのような気がしてなりません。
その時期は封建制度で、上には従うしかなく、自由というものがとても制限されていた時代です。
その後の明治になっても、表面は西洋化と言いながら実は制度は残していたという仕組みです。
まぁ、これでは「変化させた」という体験もなければ、「変化が良い」とは考えられないですよね。
そして日本はいまだかって「占領」された歴史がないのですから、他国による「支配」されての苦しみ、悲しみ、怒りを知りません。
しかし実際には第二次世界大戦後、他国に、それは戦勝国であったアメリカの意に従って添うよう、支配を受けて来たのですね。それもとても巧妙なやり方で。
まぁ、国民には知らせずに来たわけですから容易(たやす)かったでしょうね、それを企てた者にとっては。
しかし随分と見えて来ましたね。現在の日本の姿が。表れて来ました。
「裏金」「企業・団体献金」を発端にしてこれまでとは異なった掘り下げと、追究によって。
「変化」を求めない、これまで安住してきた人たちが大慌ての状況が見えてきています。
必至に「変化させない」よう図っている様子は滑稽でもあります。
(真剣に青筋立てて荒立てて声をあげ、一斉に論理的でない説を延々を述べる姿)
今騒がれている「裏金」「企業・団体献金」が根っこにあるように思います。
「強い者(権力・財を持っている者)に付いていく」「友達間隔での利権」「権力にしがみつこうとする特別意識の強さ」。
これらは、アメリカの依頼(司令)に追従する者たち、そして度を外した忖度、何も言えない卑屈な姿勢と何ら変わらない、と私には見えます。
日本でありながら日本でない手枷足枷(地位協定)。
アメリカのやりたい放題。日本の空は日本の空でなく、日本の土地も実は日本だけのものでなく、
人としの権利も自国で守れず、税金も国民のためと言われながら公にされず一部の人たちの自由に使われてしまう。
「より儲かる」商品に兵器が有り、縮小されていくのが心と命を守ろうとする職業。
いつまで経っても働く人の顔が見えない職場。
そして雇う側も姿(顔)の見えない上からの押しつけの圧力。
そして苦渋の選択。見放される立場の弱い働き人。
世界中どこも同じ悩みがあるでしょう。しかし、日本よりましな国もある。
だが「変化」を求めない人たちはより良く上手くいっている国に学ばず、生かすことも出来ず停滞する。
いや何故か理不尽に停滞させる。
「変化」を探りましょう。
先を見る思考を探りませんか。