八重山毎日新聞社コラム
今年もあと2日で新年を迎える30日にこの原稿を書いています。
【掲載:2025/01/02(木曜日)】
やいま千思万想(第277回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
「真の豊かさを得る欲望」が我が国にはまだ無い
1年を振り返る時期に来たわけです。様々なことが脳裏に浮かびます。
テレビとSNSとの格差も選挙報道に依って浮かび上がりましたが、年末のテレビには見どころ番組もあって楽しめ?ました。
いちばん驚いたのは韓国生まれのある宗教団体が我が国の政権与党と深く関与しており、故安倍晋三元首相も深く関わっていたとの報道番組。
これまでここまでの放送があったでしょうか?内容は私が8年ほど前から憂鬱になった事と一致します。
多くの人々が薄々解っていながら「物言うことをしなかった」事柄です。
テレビの報道が意地を見せて頑張ったということでしょうか。
「成果」というものを考えます。それを順を追って書きますね。
まず「成果」を繋ぎ合わせてきたのが進化する人間です。進化とは生まれ持った能力も有るでしょうが、生活の中で得た知識の積み上げに依るところ大です。
その原動力が「欲望」だと思っています。
人間は生きるための「欲望」を持つ事で他の生物の頂点に立った。
最初は食を得るために必要な欲と、その知識でしょう。
収穫のために試行錯誤し、効率よく「結果」を出すために毎日を生きる。
共同体を作って更に「欲」を満たす生活を営むようになる。
そこに生まれたのが集団を束ねる「長(おさ)」。
いつしかその「長」は権力を持ち、集団のテリトリー(縄張り)を守るために戦いを始める。
この様子は自然界の動物の観察からもよく知られています。
群れの中では、それぞれに役割を担うための仕事が生まれ、そこからも能力を競う戦いが起こり、その優劣が集団の中の地位に結び付く。
それは壮絶な戦いとなり、その「成果」は絶対です。「成果」が実らなくては「死」を意味します。
自身が生き、共同体(群れ)にとっても必要なものであるこの働きは認められて良い。
しかし、人間のように自分自身(個人)の為だけに「物を得ようと」とするのは良くないです。
(この規範意識が最近薄らいでいるのが我が国だと私は思っています)
「欲望」の「結果」には社会に貢献するものもあり、保身欲を満たすだけのものもある。
「欲望」は果てしなく続く。
終わりなき「欲」です。
ここまで果たした(成した)のだから「もう終わり」、とはしない人間社会です(自然界の動物は空腹が満たされれば、それ以上狩はしない)。
お金は幾らあっても良いのだから、「ここで止めよう、留まろう」はまぁ、普通ならばしない。
日本人はいつしか「留まることのできない」類に染まってしまった。
戦前は少し残っていた慎み深さも今となっては何処か遠くへ。
終戦直後はこの国にも良いエネルギーがありました。
〈何か眼には見えない、正体不明なもの〉「民主主義」に夢を見た。
イデオロギー論争もありましたが、国民が求めていたものは「自由に生きたい」との思いと「人生が豊かになる」欲求でした。
先に書いたテレビを観ながら、我が国にはまだ「真の豊かさを得る欲望」が無いと感じた年末です。