八重山毎日新聞社コラム
羅針盤を思い浮かべました。それも人生の羅針盤を。進むべき方向を示す盤、計器のあれです。
【掲載:2025/03/13(木曜日)】
やいま千思万想(第281回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
人生の羅針盤を脳裏に描いて進みたいです
北を示している。それが解ればどの方向に進めば良いか、全方角を知ることが出来るあの計器です。
船や飛行機などの必須の計器。その盤を人生に見立てる。そんな想像です。
我が身の目標とする方向が解らない、今どこに居るかも解らない、どの方向に何があるかも解らない。
自分の位置を確かめることができないって、不安以外の何ものでも無い。
そんな人生の選択を迫られた時に思い浮かべるのが羅針盤。
羅針盤があれば見誤ることなく方向を知ることができるでしょう。しかし、人生には羅針盤のような計器はありません。自分で作る以外ないですね。
人間って「哀しい」と思うときがあります。自分の立ち位置を客観的に知ることができない時です。
それって判断を見誤る時に成るかもしれません。失敗しない、後悔しないためにも進むべき道を教えてほしい。案内が欲しい。
「北」はどのような場所でしょう。
「南」はどのような場所だったでしょう。
「西」や「東」はどのような選択の場所と成るのでしょう。
それは人生に例えれば冒険の方向かもしれません。それぞれの「東西南北」が浮かびます。
人間は近くを見るのが得意です。近年は特にその徴候が顕著です。遠くを見る習慣がなくなりました。
都会では住宅の並びや高層ビルが視野を狭めています。眺望できる場所を求めて出かけないと見えなくなりました。
遠方を見ることは眼の健康だけの問題ではありません。思考の健康のためにも必要な条件です。
「近視眼的思考」を避けるためにも、バランスの取れた意志決定ができるためにも羅針盤のようなものを想定して「目先」ではない遠方を見る思考が必要だと思います。
人間は利益優先の思考に陥りがちです。
一つ間違えれば私利私欲に走ることに成りますし、自己保身から来る拙速にも成りかねません。
私は多くの人の「望むだろう事」には関心を持ちませんでした。
その事が勢い、人を惑わせたり驚かせたりするようです。
私にとっての関心は「何故、人は同様に望む事に関心を持つのだろう」です。
近くを見続けている人が多く居る中に「成功」「達成」が有るとは思えなかった私です。その中に居る事に不安を覚えるのです。
悩んだり、迷ったりする時は身近ではなく、遠方を観る。
言い方を変えれば、身近の状況での判断ではなく、ずっと目指していたい事柄、未だ見ぬ状況を望んでの判断に依りたい。
いつも思うのですが、幸せは「全ての人々に」ではダメなのでしょうか。
目で見える範囲を越えて全ての人々に幸せを求めることはできないのでしょうか。
私自身も、隣の人も、またその隣の人にも、この地球に生きる人々全てに。
困難に思える事だからこそ求める意味、意義がある。「目先」にはない「真実」が「全ての人々の幸せ」を求める中にある。
声高に、また巧妙にそれぞれの「正論」「正義」を語る人が居ます。
その方々も遠方を見ていらっしゃるのでしょうか。