八重山毎日新聞社コラム
思いを伝えたいと願う者にとって、その方法に苦慮します。このコラムもその一環でしょう。
【掲載:2025/03/27(木曜日)】
やいま千思万想(第282回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
「言葉」を無力化しないためにも「言葉」の復権、信頼性を!
言葉を綴ることは本当に難しいです。人それぞれに言葉の受け止め方が違っています。
私にとってのそれがいちばん相応しいとの言葉でも、人は別の意味で受け取ったりします。
ただブレる表現はしたくない。その事を心に留める私です。
言われたくないこと、心配を「言葉」から受け取ると大きく動揺するもの。
気にしていない、あるいは同意の気持ちがあれば拒否反応はしないでしょう。痛い言葉、危うい言葉が時には真意を伝えます。
安全な表現は厄介です。人の心を動かす言葉でなければ何も前進しない。それは「何も無い」と同じです。
私は音楽家。願いをステージに託します。先日行われた演奏での私の拙文を掲載します。
『音楽が好きだけれど「合唱」は聴かない、という方が結構いらっしゃるようです。
言葉のない音楽の「音響」を好まれるのでしょう。これは趣味嗜好の話ですから、音楽を楽しむ。
それは声、楽器どちらでもよい話。ただ、私のように両方を指揮する人間にとってみれば「どうして?」と考えてしまいます。
いつだったでしょうか。「言葉が有る」音楽は疲れると聞いたことがあります。
理解できます。言葉の世界に疲れたから音楽の世界で癒やされたい、リフレッシュしたい。
なのにまた言葉を聞いて脳を働かさなければならない。「もういいや!」でしょうか。
しかし、です。確かな感覚として、言葉を伴って与えられる「感動」は楽器に依るソレを超えます。
右脳と左脳、音楽領域と言語領域。関連する脳の全ての領域が活発化する。
それが音楽から与えられる最高、最良の贈り物です。
第一ステージと第二ステージはラテン語。
多くの方々はラテン語に精通しているわけではないですから、言葉でなく響きをお聴きになるかと想像します。
それを敢えて言葉を重視した演奏を目指します。意味が、思いが伝わる音楽です。
第二ステージは「現代曲」。複雑なハーモニー、リズムが目まぐるしく変化します。
おまけにメロディーは歌いづらい。今日一番の難曲です。
そして、第三ステージは日本語です。「生まれたよ ぼく」と最初からインパクトのある言葉。
どう発展するのかドキドキさせられる、作曲家萩京子と詩人谷川俊太郎の世界。
曲集の最後の言葉。「戦争するのはおとな」「戦争すれば殺される、敵の子どもが殺される、味方の子どもも殺される」と綴ります。
現代の「今」を切り取る天才です。
曲はシンプル(これが至難の技)に詩を綴っていきます。好きですね、このスタイル。
今回は17世紀初頭イタリアの巨匠クラウディオ・モンテヴェルディ、現代日本の新実徳英、萩 京子と並びました。
興味深い作品たちです。
言葉を通して、作曲家、作品、お聴きいただく皆様、そして演奏するメンバーたちの心が繋がる。それは最高の幸せです!』
言葉が限りなく力を失っている今日。
それだからこそ、言葉に息吹を注ぐ。
命を与える表現が必須だと考えます。