八重山毎日新聞社コラム
私の周りには「変わり者」が多く居ます。実は私自身もその中の一人でしょう。
【掲載:2025/06/05(木曜日)】
やいま千思万想(第286回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
社会を切り開いて行く者はいつの時代でも「変わり者」
「普通」でない言動がそう思わせるのかも知れません。
合唱団員の中に、楽譜が新品であっても一週間も経てば10年ぐらい使っているようなクシャクシャの楽譜にしてしまう者が居る。
楽譜を多く見開いての結果でなく、鞄の中で押しつぶされたかのようにページに何重にもシワができてしまっている。
どうしたらそんな楽譜になるのか誰もが不思議がる。「謎」です。
「数字」にめっぽう強い者にも驚かされます。
何にでも「数える」のが早く、瞬時に答えがでてくる。
いつも、何に対しても常に数えているのではないかと恐ろしくなる者。
こちらとしては大変助けられているのだが、その数える早さと脳の回路が「謎」。
何でもよく識っている「博学の人」も少なくないです。
どんな話題でもオーケー、瞬時に会話の中へと入ってくる。
アニメソングなら任せてとばかり歌い始める人、それも時代を遡(さかのぼ)ってアニメ初期から、そのあらすじまで教えて頂ける。
ちょっとやそっとの量ではない、「好き」を越える情報が脳に詰まっている。
感嘆するしかない「尊敬」してしまう人。
これらの人たちは皆に好かれ、いつも話題にのぼってくる。羨ましくなってくる我らのアーティストです。
この人たちは大歓迎の「変わり者」でしょうか。
転じて、社会を見渡してみれば様々な「変わり者」がいらっしゃる。
いつの時代でもそういった人たちがきっと未来への扉を開ける存在になっていたのではないかと想像してしまいます。
何かが変わるとき、きっとそれまでになかったモノに出くわしてしまう。
誰も理解することができず、ただ驚いたり遠ざけたり、異質な存在としか映らない。
しかし、そこには誰も見たことのない「先取りの世界」があるだけ。気がつくのに周りが遅いだけ。
これらは「安定の世界」でよく起こる現象でしょう。安定とは停滞と同じ。
その「停滞(留まる)」の中に小さな衝撃、波動を起こす者は「変わり者」ではないか。
本人が自覚しているかどうかは定かではないが、何かを変える波風の元であることは間違いない、と私は思う。
台風の発祥地では誰も気がつかない、何も起こっていないかのように。でも確かに起こっている。
社会を切り開いていく者はいつの時代でも「変わり者」かもしれません。
「変わり者」に注視しましょうか。楽しみましょうか。
こちらとすれば面白がって、ただ見守るように近づく。それだけで十分歴史を作る人間に成っているかも、です。
人生、すべからく楽しみましょう。心から楽しみましょう。
苦しいことも悩むことも人間にとって必要だと思うのですが、それは致し方なく必ずやってくるモノとして、慌てず、騒がず対しましょうか。
普通の人間は、人生楽しく、面白くすることに専念するだけで良いのではないでしょうか。(その質は問われるかもしれないですが)
良いモノとは、それは求め、願えば─必然と成って─やって来るものです。
これ、確信です。