八重山毎日新聞社コラム
妻の母が亡くなりました。96歳でした。大往生だっと思います。
【掲載:2025/07/03(木曜日)】
やいま千思万想(第288回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
「死」は残された者に「生きる」を教える[後、補完しました]
人の死に方って色々あります。義母の最期は安らぎの眠りの中で人生を終えました。
残された二人の娘は気丈に、粛々と現実を受け取っているようです。
横に居る私に生きる者の逞しさを感じさせてくれています。人生、色々あります。
妻の妹も苦労の多い人生を歩んでいます。
私はそこから生きる力、逞(たくま)しさ、賢さ、優しさを見させて頂いたと思っています。自慢の姉妹でしょう。
最近、義母の死を覚悟した事、更に突然の新入団員の死を知らされた事もあってか、「死」について人に喋ることが多くなりました。
話の主旨は《残された者は「死」にどのような意味を見て取るのか》です。
日本人の多くは「喪に服する」でしょうか。〈死んだ人の「近親の者」が、ある日数、外出や付き合いをひかえる〉ですね。
しかしその「近親者」が現代ではその範囲に留まらず、亡くなった人の関係者全てに広げようとする思い、意図を感じます。
その事に誰も「不思議」を感じていないかのようです。
「喪に服す」の風習はお隣の中国の儒教に依っていると聞きます。
日本でも古代からその風習が根を張っていて、平安時代には仏教の影響を受けた形で発展し、江戸時代に定着する。
そしてそれが日本の文化として深く根ざすことになります。(公的行事・宗教的規定に基ずいているということです)
「喪に伏す」という言葉もあります。(個人的な感情・身を控える・身を慎む)
個人への敬意、悲しみを抱き(沈み)、悼む思いを表す、それが「伏す」です。
私はこの「伏す」を抱きます。
義母への敬意、悲しみは言葉に尽くしがたく私の身体中に充満しています。
しかし、日常生活は止めずに進めます。妻もピアニストとして、マネージャーとして事を進める筈です。
義母の死は私たちにとって「生きる糧」「人生への応援の営み」だと理解しています。
義母は私たちの内に居続けます。
団員の死は、日本の伝統・習慣・制度を知るものでした。関係者が「喪に服する」ことを模索したのです。
その関係者が大学生であったことに私は驚きました。
「死」は怖いものでしょうか。恐れるものでしょうか。人間は生物であるのですから「死」は必ず訪れます。
それを「無いもの」としてはなりません(もし未来に不死があるとすればそれは人間ではなくなります)。
「有る」ことを「無し」にしてはならないのです。
「死」は残された者に「生きる」を教えます。
その要因や原因を徹底的に探り、知り、生きることに役立てる。
それが逝った者への心からの敬意を表す「返礼」です。
未来に何を伝えるか、残すかが人間の務めだと識ります。
人間にとって「死」は厄介な問題です。知能を持った故に「死」に悩む。
人間以外の動物ならば悩むことが無いと想像します。
「有る」ものとして捉え、生きる術を得ようとするだけです。
「死」を通して「生きる」を学ぶ。これは動物全てに通じる原則です。
「生きる」ことを阻害してはなりません。
人が人の死を招く醜行(しゅうこう)なんて許してはなりません。
勧められる「死」なんてある筈がありません。
だから我々は「生きる」事を識る人間に成ることです。