八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.290


【掲載:2025/08/21(木曜日)】

やいま千思万想(第290回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

憂いを持ってはいけませんか?石垣島に

 7月29日〜8月1日まで石垣島を訪れていました。期間は短かったですが思った以上に滞在が記憶に残ります。
色々と気掛かりな事があったのですが、島の時間はゆっくり流れているのでしょうか、それとも水面下で何かが起こっているのでしょうか。
静かなたたずまいという印象。
今は市長選も終わってどのような動きをしているのでしょうか。
これを書いているのは投票日の前日、名古屋に向かう新幹線の中。
島が気になりつつ、島での滞在のさまざまなシーンを思い返しています。

 2年ぶりの島です。あれから知人はどの様にお過ごしか。
お一人お一人お会いする毎に嬉しさが込み上げてきて、会えていない期間がなかった様に人の温かさが染み込んできました
。 慶田城さんの家族とは格別の時間でした。亡くなった父親の用紀さんは「さがり花」を作曲、それを私が編曲して出版しました。
奥さんの洋子さんは用紀さんの店を継ぐ頼もしさ。
今、お店はお子さんが中心となる家族経営です。
新聞社への訪問も出来、今後もコラムの継続を確認しつつ、それぞれに興味あるお話を伺えたことは私自身への朗報です。

 “川平の豊年祭”の日、大濵幸子さんのお宅でとても有意義なる一時となった出来事に遭遇しました。
「司(つかさ)」(「ノロ(ヌル)」?)と呼ばれる女性が神棚に供物を捧げ、手を合わせ、ひれ伏して真摯に祈るという儀式に同席したのです。
厳かな所作に心が洗われる思いの貴重な時間でした。
儀礼的、形式的に陥っている「祈り」を沢山見てきた私にとって、「衝撃の祈り」。
島の文化は健在だと知りました。先祖への敬意の真(まこと)がそこにありました。

 島の詩人、八重洋一郎さんにもお会いしました。
そして私のPodcast (ポッドキャスト)[Spotifyでお聴き頂けます]に出演して頂いて、島事情や「詩」について語っていただきました。

 帰阪の日、以前訪れた八重山そば「まつむとぅ家」で美味しくそばを頂いた時です。
私に気付かれた女ご主人、お母さんが語った話に深く胸打たれました。
「ウチカビ(紙銭)」の話も興味深く面白かったですが、その後話された言葉が今回石垣島での一番脳裏に刻まれた言葉でしょう。
「戦争を体験しているおじい、おばあが今頃になって語り始めた。何故もっと早く話してくれなかったのか・・・・」一瞬間があって息を飲む。
戦後生まれの私にとってもこの言葉は胸に突き刺さる。
大いに同意し、一気にお母さんとの距離が縮まりました。
その後直ぐにいつもの様に明るく豪快に冗談を飛ばす。「あなただから喋ったんだよ」。
料理場に戻ろうとする後ろ姿が印象深く、私は後ろ髪を引かれる思いでその場を離れました。
今もってその背中が忘れられません。

 島にとっては「経済」が一番の関心事でしょう。
人間の幸福を願う時「お金」がより多い方が得やすいとは誰しも思う。
でもそのお金をどのように使うかは人の心を顕す。
人の心が荒れませんように。欲には限りがありません。
穏やかで平安の中にある「心」で有りたいです。





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