八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.17


【掲載:2013/11/10】

音楽旅歩き 第17回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[過去・現在・未来を見据えての八重山作品を]

 先日、珍しい作品を演奏しました。
最初はステージ上で普通の演奏スタイルによって合唱団が歌います。
第一楽章がヨーロッパ中世様式で、第二楽章は現代の無調、第三楽章は西欧の古典とロマン様式、そして第四章はルネッサンスのスタイルで。その構成も既に独創的なのですが、実はこれに繋がる楽章が珍しいのですね。
 細かく別れたグループが「隠れキリシタン」のお祈り「おらっしゃ」をつぶやき≠ワたは唱え≠ワす。
江戸時代の禁教令による弾圧の中にあった祈り。
その後、合唱団はステージから客席へと移動して拡散し、その響きはいつしか各国、各民族の祈りの歌へと広がり、ホール全体を今までに聴いたことも無い響きで包みます。
 終盤、その響きは段々と集まり、収束されつつお経「華厳経」が高らかに唱えられて曲を終えます。
その曲、柴田南雄「 宇宙について」(この演奏スタイルを「シアターピース」と呼びます)。
作曲されたのは1979年、関西初演を果たし、幾度か演奏した後13年振りの再演でした。(2013年11月4日〔月・休〕浜離宮朝日ホール第18回東京定期公演「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」)

 この作品はキリスト教に象徴された絶大な権力(巨大な中央集権)である西欧文明と、弱小集団である抑圧された東方(日本)の孤独な隠れキリシタンとの対比が示され、演奏者も聴衆も世界の価値観の多様性を体験させられます。
最後のお経にある《一一(いついつ)の微塵の中に一切世界がある》と説くのも示唆に富みます。
ここには1000年に及ぶ様々な音楽スタイルと、人間を取り巻く種々の問いかけが満ちています。

 このように柴田作品のある時期の一部は、<音楽とは何か>〈人間とは何か〉<音楽は何を為し得るのか>を問いかけてくるのですが、私が大きく影響を受けた作品でした。
 この曲をドイツで何度か演奏したのですが、演奏する度にドイツの聴衆は総立ち(スタンディングオベーション)、その驚嘆振りは今でも脳裏に焼き付いています。
現代もその問い掛けは色褪せることなく輝いていると私には思われてなりません。
 絶大な権力と非力(弱小)。
個人(孤独)と集団(優越)、優位と劣位。
それを示しながら実に興味深い音楽的響きがホール全体に広がりました。
 演奏後、聴衆の拍手は合唱団がステージから去った後も長い間鳴り止まずホールに響いていましたね。
その余韻に暫く浸る私が居ました。

 音楽作品はリアティ、そして美しく、衝撃的であるべきだと主張してきました。
過去の伝達だけではなくそこに「現在」も必要です。
八重山の歴史全てを含む「現代音楽」はないものかと探って見たくなっています。
もしなければ、創るしかないですね。
 作曲家、詩人、演奏家が一堂に集まって長大に、示唆的で感動的な作品を創ってみたいですね。
時間はかかるでしょうが、準備は万全に、確たる思考を重ねて、叡智を集結した過去と現在と未来を見据えての八重山作品を!





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