八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.28


【掲載:2014/04/13】

音楽旅歩き 第28回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[音楽の歴史の中、私は今どの位置にいるか(3)]

 バッハの音楽を知るためにもドイツ音楽の源泉から見つめてみよう。
その思いが「ドイツ音楽の父」と称されたハインリッヒ・シュッツとの出会いとなり、合唱団にもこの名を冠しての活動となりました。と前回での話。
 その続きです。ハインリッヒ・シュッツの音楽で一番学んだことは「言葉」の問題です。
もちろんドイツ語の表現なのですが、実は原理は日本語にも当てはまることだったのですね。
これは衝撃でした!表現するとはこういうことか。
「歌う」とはこういうことだったのか。「目から鱗が落ちる」です。
 歌うことは幼い頃から得意でした。
きっと自分の思いを歌で表現するのが嬉しかったのだと思います。
その歌が器楽へと向かった時期が小学校4年生。
それから卒業するまでの3年間はリズム(打楽器奏者)と合奏の修行。
そして中学は吹奏楽での活動となって、ユーフォニウムという金管楽器を吹きつつ2年生からは指揮をするというコースをたどります。
ここで「裏メロ」「対旋律」という音楽語を知りました。

 バッハ音楽への道の第一歩目の知識でした。音楽には幾つものメロディーがあるのだ!それが重なり、協調しあって音楽の世界を作っている。
この発見も大きかったですね。
ピアノの演奏でも右手、左手と異なったメロディーを奏してはいましたが、はっきりとある法則にしたがって多くのメロディーが存在するとは意識できていませんでした。
この時代はまだそのスタイルを十分に識り、また活用できていなかったと思います。

 歌も並行して相変わらず続けていました。
音楽担当の先生からの奨めでレッスンに通い(いえ、通わされていたと言った方がいいかもしれません)、ステージやコンクールなどに出るといったその頃では珍しい男の子でした。
歌はメロディー(旋律)をうたう、なのですが私の場合「歌詞」を歌っていたのだと思えます。
ですからメロディーやリズムは言葉によって変化していたのでしょうね。
日本語の抑揚を感じ、感情移入を恥ずかしげもなく施し、声の色に変化を付けながら小生意気に演じていたのだと思います。
今思い出しても気恥ずかしいですが。
その表現を根底にした私の音楽修行がその頃、私の性格である「のんびり屋」さんに助けられながら多忙を極めて毎日行われていました。

 「歌」は言葉です!言葉を通して思いを伝えようとするとき「歌」は真のメロディーを産み出します。
例え言葉の無い器楽のメロディーであっても、その底には言葉やまだ言葉にはなりきっていない状態での想いが存在するはずです。
 ハインリッヒ・シュッツの音楽に同じ表現法を見たのですね。歌い方に法則がある。
体系的に受け継がれている「歌わせ方」がある。
これはどんなに私を勇気づけたことか。
一つのメロディー(歌)を表現豊かに歌わせる。
そのメロディーが幾つも重なる歌の世界。
それを一人で演奏する楽器があるのを知ったのは高校に入ってからでした。
パイプオルガンとの遭遇です。
(この項続きます)





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