八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.40


【掲載:2014/10/04】

音楽旅歩き 第40回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[バッハとベートーヴェンの音楽の薦め]

 指揮者としてはあらゆる音楽を振ることができなければなりません。
一応ジャンルはおのずと振り分けられているようですが、指揮者と名乗る限りどのジャンルでも振らなければなりませんし、振るべきだと思っています。
楽器や声に精通し、そのために楽譜に書かれた音を再現するノウハウを備えておくことが条件だと言えます。
 しかし、そうは言ってもオールラウンドプレイヤーは仕事人としてはもてはやされるのですが、じっくり音楽を聴かすとなれば少し物足りなさもある、とは良く言われていることです。
指揮者には指揮者としての得意な音楽、言ってみれば評価の高くなる、得意なレパートリーがある筈ですし、聴衆にとってもあの作曲家ならばあの指揮者で聴きたい。
ある時代の作品ならばあの指揮者で聴かなければ、という具合に。そして名をなす指揮者なら「これこそが私の音楽の基本、これこそ聴いてほしい」というものがあるものなのですね。
私にもあります。それがヨハン・ゼバスティアン・バッハとルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンなんですね。

 どちらもドイツの音楽家であるのは私の習ってきた道が大きく関係しているということなのですが、慎重に、そして遠慮がちに言ってもやはりこの二人の音楽が後世の音楽界に与えた影響力はあまりにも多大であると言って良いかと思います。
私もこの二人の音楽を奏でたいとの思いでこの道に入りました。
今では並行して日本の作曲家のオーケストラ曲や合唱曲の紹介もしているのですが、帰って行くところはいつもこの二人の音楽だと思っています。
 疲れた時も、元気な時も、また少し道に迷って我を忘れてしまうような時も私はこの2人の音楽に帰ります。
ベートーヴェンは交響曲全曲を演奏しましたし、今後も演奏し続ける私のライフワークだと思っています。
ベートーヴェンの魅力はやはり何と言っても大きな意思の強さを楽譜に示し得たことでしょう。
音楽が強く、深く、思想、哲学を持ったわけです。
最晩年の作品はまさに彼独自の哲学音楽です。
指揮しながら、いつも全世界に向かって放っているかのような高揚感に満たされます。
そして緩徐楽章に見せる叙情性。
憂い、哀しみ、悩み、そしてその底に流れている希望、それらが満ち溢れて私の心を満たします。

 バッハの音楽は人間が持つ知恵の結晶が圧倒的な音楽となるのが魅力です。
何とリズムとハーモニーの離れ難きバランスの良さか。
私はバッハを演奏している時も、聴いている時も、そして聴き終わった時も、思考が整理され、身体の働きが活発化するのを覚えます。
これからこの2人の魅力を歴史を追って書こうと思います。
世界の文化の変遷も絡めながら彼らの音楽がいかに時代を象徴し、また超えていたかを知っていただければとの願いを込めて書いてみようと思います。
(この項続きます)





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