八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.125


【掲載:2018/09/30(日)】

音楽旅歩き 第125回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

神秘的かつ感動の四肢の動きーオペラ

 身体の不思議、そして神秘。今更ながら人間の四肢の動きに感動しています。
人間の体って上手くできていますね。
部分部分が連結し、また連動し合って全体へと繋がっていくその動きはそれ自身、美しさであり、
また瞬間的に捉えられた姿勢は神々しささえ感じさせる素晴らしい造形美です。
何故そんなことを感じるのかと思われるかもしれませんが、これについては今までにも発声指導や指揮をする時にも演奏者に言ってきましたし、
また幾多の文章の中でも書いてきたのですが、現在取り組んでいるオペラの練習、その演出において更に強くその美を感じます。
歌ったり、楽器を奏したりするときの身体の動きは本当に素晴らしいです。
身体全体が前後左右に揺れ動き、胴体の筋肉は曲がったり、ねじったり、またらせん状に動いたりします。
腕も複雑な動きをします。肘の曲がり、ひねりを変えることができます。肩の回転では腕をスイングすることだってできます。
オペラ(敢えて、以下「歌芝居」と書きましょう)の演出を考えるとき、楽器奏者や歌い手が奏する姿の美しさだけでなく、
台本にしたがって踊りも加えることがあります。
まぁ、これは「歌芝居」では必須です。
台本作家は色々な場面で〈見せ場〉を作ります。
踊りもその一つです。
踊れば、ステージ上を移動し、ステップを踏み、走り、挙げ句の果ては合唱団などが乗るひな壇からひな壇に向かって飛び上がったり、
飛び降りたりする動きも伴ったりします。
観客はただ「音楽」だけを聴くのではなく、劇場全体の音響と照明を駆使しての〈人間のドラマ〉全体を楽しむことができる、というわけです。
ですから「歌芝居」に係わる全ての演者は相当の訓練が必要であることは判って頂けるものと思います。
日々繰り返される身体の鍛錬の賜(たまもの)と言って良いでしょう。
動くことは神秘です。と私はいつも感じます。子どもの身体の動きと大人の動きは生物学的には同じだと言えます。
子どもは大人の縮小形。大人は子どもの拡大形。
足も手も、指も、腕も、胴体も首も、そして頭、それらは相対的な大きさの差であって異なった形の差ではありません。
それらが一体となって、あるいは個別に、全体の舞台を形作っていく。
それはやはり神秘的な美しさではないかと思うのです。
更にそこに、成人の(完成された人間の姿と言い換えもできましょう)男性、女性としての美しさが加わり、
それは時に〈ため息さえ出るほどの感動〉を伴って舞台に登場させることもできます。
ただ歩くという行為ですらその美を表現できます。
背骨に支えられ、各部分は精密に脳の制御で関連付けられたもの。
その美しい動きは人間としての〈誇り〉となって、美の共感として人間と人間を繋ぎます。
「歌芝居」の公演は想像力の賜り物。
音楽家として最も大切な、聴くことによる想像力と筋肉的想像力の合体です。
人間の歴史として脈々と受け継がれてきた膨大な記憶を呼び覚ます。それが「歌芝居」の魅力です。  





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