八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.151


【掲載:2020/02/02(日)】

音楽旅歩き 第151回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「島」へ行きたい!その願いが叶いそうです

 このコラムも今回で151回目を迎えました。
思い返せば第1回が2013年4月21日(日)でしたから、すでに7年、ということになります。
石垣に興味を持ち、魅了されての島への訪れ。訪れて後、コラムをも書き始めてからもこんなに長く島に思いを寄せていたというわけですね。
自然への誘い(ダイビング)から始まったと言ってはいますが、実は音楽を勉強していた頃から「八重山音楽」その文化背景には大きな関心がありました。
だからこそ、ダイビングに引っ掛けて〈島へと来た〉と言った方が真実に近いと思います。
しかし、今から考えれば当初は島のこと〈何も解ってはいません〉でしたね。
ただ、出かけてくるだけで、その体験だけで島が解るのではないか、と暢気に静養地として過ごしていたように思います。
生来(せいらい)人間好きなこともあって、島の人と会ってさえいればその興味ある文化に触れられるのではないか。
島の自然、人との出会い、その触れ合いが私にとって本土での超多忙な日常から逃げ出しての休養、最良の期間ともなる。
それはこれまでの全国各地への旅の中でも特別な〈休養の日々〉でした。
しかし訪れるたびに私の中の「島」は変化していき、いつしかそれは放ってはならぬ想いとなりました。

 このコラム執筆を機会にして、真剣に大好きな島のことを考え始めました、と今告白します。
移り住んだわけではありませんから、外見(そとみ)からでの真剣さには限界があります、しかし外見だからこそ見えてくるものもあります。
それが新鮮であったり、感嘆したり、そして仰天であったり。
私だけでなく、全国の多くの人たちが「石垣島」に興味を持ち、心のどこかで「桃源郷」のように想像しているのではないか、本土の人たちと話をしていて思います。
島の人にとっては迷惑なことかもしれませんが、そんなイメージを未だに多く持たれてしまう「石垣島」だと思いますね。

 都会は疲れています。そこに住む人も疲れています。人が多いことは素敵な事ですが、多すぎることは見過ごすことのできない大問題です。
心身共に一人一人が健やかに生きる、そのささやかな思いや願いが都会に住む人々に理想の地としての「桃源郷」を想像させてしまうのでしょう。
「本土からの通信」の形をとって、私のかけがえのない大切なこの島への想いを書いています。
島の風を直に感じなくなって4年以上経ってしまっていました。
私自身もこの長さに驚きです。
本土での仕事の忙しさ、そして身体の変化(病気と入院、そして回復期間)ということも原因なのですが、〈島の風〉を感じる時間が必要になってきました。
起こっているのか、起こっていないのかは判りませんが、もしあるのならばその〈島の変化〉を体感したい想いが強く湧いてきています。
この目と耳と肌とで感じたいです。
やっと島行きに「GO!」です。
スケジュールの調整を経て、島へは二月末に訪れる予定。
事なきを得て滞在できますようにと、今はその願掛け?です。  





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