八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.154


【掲載:2020/04/12(日)】

音楽旅歩き 第154回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

コミュニケーションの大切さ、そして「風評」との間で悩む

 「伝言ゲーム」ってご存知ですか。
最初の一人が数珠つなぎになっている列の隣の人に向かって何か伝言します。
それを次々に伝えて、最後の人にはどんな風に最初の伝言が伝わったか?というゲームですね。
最初と最後が同じだと良いのですが、伝えるごとに変化していく、それが面白みです。
私は時折このゲームのことを思い出します。
私が最初の人間だったら、また数珠つなぎになっている真ん中ほどの人間だったら、そして伝言を受け取る最後の人間だったら、と。
短い伝言なら違いも少ないでしょうが、長くなればほぼ確実に変化していき、正しい伝わり方にはならないと思いますね。
いつ頃だったか(子どもの頃ですね)、この「伝言ゲーム」の面白さの中には見過ごせない問題があるってことに気が付いたことを思い出します。
この社会で起これば危険だなぁ、と。
最初は悪意のないちょっとした言葉が、伝わっていく間にどんどん様々な尾ひれがくっついてとんでもないことになってしまう。
事実が伝えられず、敢えて言うならば「嘘」「悪意」となって伝わってしまうこともある。

 益々「新型コロナウィルス」が猛威をふるっています。
その対応について、ニュースやSNS上での議論には様々な論調が見られます。
見ていて心が痛んだり、呆れたりすることがあるのですが、それは、これって「伝言ゲーム」の一種じゃないかと思うところがあるからですね。
いつも言ったり、書いたりするのですが、そのソース(source=出所)は一体何処なのか?をいつも問う余裕を持ちたいものだと思うのですね。
「本当にそうなのか?」という疑問です。
もしそれがゲームのようであったなら「風評」として広まり、真実でないことが事実のように伝わってしまう。
そうなるともうゲームとしての面白・可笑しい遊びではなく、人や町や地域や、国でさえ傷つけてしまうことになってしまいます。
こんなにもグローバル社会になればそのソース、出所は判らなくなってしまうほどの量と質。
見極めがこの上なく難しい!どう想像し、選び、考察しなければならなくなるか。考えるだけで疲れてしまいます。
そのような時、やはり思うのは「コミュニケーション力」です。
喋る、書き、聴き、観察するという能力の錬磨ですね。
今回「新型コロナウィルス」によって人と人が会うことが制限されています。
強制ではなく望まれているとの表現ですが、この対応策は正しいでしょう。
感染を防ぐということでは人と人との距離を無視してはなりますまい。
「3密(密接、密集、密閉)」の条件を満たす、換気の悪い「密閉」空間、多数が集まる「密集」場所、そして間近で会話や発声をする「密接」場面を避けるということですね。
長い期間となりそうです。
石垣島に於いては「感染」は絶対に阻止です。
もう、私は祈るばかりです。
大好きな石垣に「感染」、そして良くない「風評」が起こりませんように、
考え抜いた良い「コミュニケーション」が広がりますように、と。  





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