八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.157


【掲載:2020/06/07(日)】

音楽旅歩き 第157回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「ラジオ」再発見、その言葉力の魅力に惹きつけられます

 以前にもテレビの話はしたと思うのですが、「新型コロナウィルス」対策として在宅になってしまってからはテレビを観る機会が多くなりました。
いつもより勉強する時間が増えたのですから、やり残していた勉強に時間を割けばいいのですが、
モチベーションの保ちかたの問題でしょうか、集中力はそれまでとは違ってしまっているらしいですね。短いのです。
練習や本番(演奏会や講座といった類)が無くなったという精神的な動揺はそういった所に現れるものですね。

 テレビの話です。在宅が始まった最初の頃はこれまで観られなかった時間帯の番組を観るわけです。
「ああ、この時間にはこんな番組があったんだ」ということですね。それもチャンネルも多いですからそれらを一回りすることもできました。
まぁ、半端ない時間のかけようです。今から思えば何と長時間を費やしてしまったことか。
それは後で述べるような理由での後悔。
しかし結果としては「気づき」の学びともなったと思いますから、そう気に病む必要もないのかもしれません。それが少し救いですね。

 さて、長く2ヶ月以上にわたって観た感想です。
低予算、手抜きの内容、そしてどこもかしこも同じように似たものばかり。
出て来る人たちも同じ人、または同じようなキャラクター。私が古い人間になったからでしょうか、どの人も同じ顔に見えてしまいます。
名前も顔も覚えられない、皆イケメン、美女ばかり。なのにその違いがあまり判らない。
そして本当に馬鹿馬鹿しく、何も考えず、疲れた頭を空っぽにしてもらえるだけという番組が多い、と私には思えます。
特に報道番組にはいろいろと考えさせられることが沢山ありますね。
これらを見続けると少し「怖い」という気持ちも起こります。
良くも悪くも「ある種の視点」が強調され過ぎるきらいがあるからです。
人間の特性でしょうか、一つの事にとらわれ、見つめてしまえば多角的、多層的な思考が鈍るということですね。
中には硬派らしきものもありますが、後で述べる「ラジオ」には到底かないませんね。

 テレビに代わって「ラジオ」を聴き始めました。再発見!でした。
こんなに多種多様で内容もしっかりしているんですね。喋り手の個性が光ります。
その発し方に知性が如実に伝わってきます。
言葉を発する、それは人格も含めて全てを表しています。
映像を伴わないということは言葉によるイメージがより脹らむんですね。映像を超える表現力です。
残念ながらリスナーはテレビに比べて多くはないかもしれませんが、きっと熱心な愛好者がおられると思います。
聴きながら感じるのですが、電波の送り手の前や後ろには見えないけれど、熱い応援者がわんさかいる、という確信です
内容も面白いです。お笑いも、時事報道もごまかすことのできない言葉によって伝えられてきます。
ジオを聴きながら笑うっていうことを久しぶりに体験しました。
今では全国の局の放送も聴くことができるのではないでしょうか。
お気に入りの番組を是非お探し下さい。





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