八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.161


【掲載:2020/09/06(日)】

音楽旅歩き 第161回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「孤独」には二つの種類がある 私は「孤高」でありたい

 「孤独」とは、〈頼りになる人や心の通じ合う人がなく、ひとりぼっちで、さびしい・こと(さま)〉。
また、〈孤独は自身がなりたくてなったものではなく、誰かと一緒に居たいのにいる事ができない。
頼りたいのに頼る人がいないなど、自身の意思で一人になったのではなく、とても寂しい思いを抱えている状態が孤独です〉。と辞書には載っている。
私は孤独が好きです。
よくこの言葉を使います。しかし、上のような意味では無いような気がします。
間違っているかもしれません。類語辞典を調べます。
いろいろ書かれていますが、これだ!というものに出会いません。「離々(りり)たるさま」というのがありました。少し近いかもです。
意味は、〈他と離れて設置される、他との距離が保たれる存在または感覚〉、とあります。
「他と距離が保たれるいる状態」は確かに私の意識にあります。

 沢山の人と関わってきて思うのですが、「独りぼっち」のように見える人がいます。
お喋りしなく、顔の表情も余り変わることなく、おとなしくその場所にいるだけ。
私はその人が気になって仕方ありません。
「孤独」が好きと私は書きました。が、きっと人と共に居るときはそんな風には見えていないと思っています。
まぁ、時折考え事をしたり、身体の調子が悪くなった時はそういう時もあるかもしれませんが、
そうした時も私は人の会話にうなずいたり、何とか笑顔で応えたり、いつでも和やかな雰囲気を保とうとしているに違いありません。
それは無理しているわけではなく、何よりも「独りぼっち」という状況に自分自身であれ、他人であれ、一人として有って欲しくないと考えているようです。

 私は「孤独」を好みます。「他と距離が保たれている状態」です。それを必要とします。
「孤独」の時間がなければなりません。それはきっとこういうことだと思います。
《人と距離を保って一人で考えること。自然の中にあるような静かな環境に一定時間居ること。
そこで自分自身と対峙し、徹底的な論理思考を行うこと。本を読み、楽譜を読む》
時には「皆と一緒にいることを避けたい。
一刻も早くその場を離れたい」と思うこともあります。
しかしそれが苦手です、ですからその拮抗、せめぎ合いの毎日です。

 「孤高」という言葉が好きです。人からも私がそのようだと言われることがあります。
辞書には〈一人ぼっちでいるのに寂しさを感じさせない人。真似する事ができないような努力をしんどいとも思わない人。
自身の考えや信念を貫き、ただ一人でその道を突き進む事ができる人〉とあります。
孤高の人、と呼ばれたいですね。
集団の中に居る事を嫌い、一人でいる事を好み(時には人を寄せ付けないといった雰囲気があるかもしれません。しかしそれは誰も見ていない時に)。
昨今、徒党を組んで何もかも押し進めようとの思いを感じます。
人の付き合い、その流れに流されず、自身を研ぎ澄ます時間を持つためにも「孤独」を是非。





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