八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.162


【掲載:2020/09/20(日)】

音楽旅歩き 第162回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「流れに乗る」ことの安心感、そして危機感

 前回のコラム「孤独」「孤高」に関連するのですが、続きます。
それは「世の流れに乗る」という問題です。深く思考することなく流れてしまう。
これは、形勢をうかがう「日和見(ひよりみ)的」、有利な方につこうとすることですね。
それは「孤高」とぶつかり「孤独」という自身との対話の行為から離れていきます。
人は有利に働く方向になびく、これは自然なことに違いありません。
誰だって不利になる方向には向かおうとしませんから。
しかし、少し過去を振り返ってみれば現実的に有利だとの判断で動いた方向が時として問題を作り、
予想していたものとはならず、良くない方向へと助長することになる場合もありました。
しっかりとした実証を求める考えや意志を持っていれば、無自覚に「流れに乗る」ことはないと思うのですが、
現実的には乗っかって流れに沿う動きが勝ってしまうことが多いです。
拙速な「流れに沿う」行動は思考力を鈍くさせることがあると思うのですが如何でしょう。
じっくりと物事と向き合い、時間をかけ熟慮し、その上で方向性を決める。
これまでの価値観を無批判に応用せず、実行は慎重に行う。
「流れに乗る」ことは〔楽〕であるのですが、それは大きな過ちを生んでしまうことにもなってしまうと私自身は恐れます。

 先日、機中でマスク拒否の客に関するトラブルがあり、飛行機が臨時着陸。
その結果、目的地への到着が遅れ、乗客に多大な迷惑をかけたとのニュースを観ました。
それについてテレビのコメンテーターが一方的にその客が悪いとの意見を述べます。
その場のスタッフや、そしてSNSでの反応も一斉に客を非難する意見にまとめられていました。
もちろん、その客は乗務員の指示通りにマスクを着用したほうが良かったと私も思うのですが、
しかし、航空会社は「他の乗客とのトラブルもあり、乗務員に対して大声を出して拒絶するという行為があったため」とのコメントを出しました。
あえてマスクのことは書かれてはいません。乗客は「マスク着用は義務ではなく、お願いでしょう?」という論理だったらしい。
そしてそのやり取りに尾ひれとも取れるような言葉がくっつく。

 詳しくは解りません。つまり子細は報道の仕方によって変わるかもしれないと思ってしまうのです。
それは一方的な報道、偏見であるかもしれません。要は、乗客の言い分も少しは聞かなくてはならないと思うのですね。
でなければ「そんな非常識な者の意見など必要なし」ということになってしまいます。
大切な事は事実確認です。そのためにも両者から事情を聞かなくては、と思います。
私もここで独断的な私見は述べてはいけないですね。その場に居あわせなかったし、両者の意見を聞いていないからです。
この問題、深く重いです。音楽家としてコンサートを開く、その問題にも通じます。
世の流れだけに乗るのではなく、あくまでも科学的根拠、実証に添って開催する。
早急でなく、一方的でなく、自分の思考で臨みたいという問題に通じます。





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