八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.163


【掲載:2020/10/04(日)】

音楽旅歩き 第163回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

その活動の長さに自負を持つも、課題・問題はまだまだ多い

 9月「マンスリー・コンサート」が447回を迎えました。
決して数の多さを誇るわけではないのですが、この『コロナ禍』での開催にあたってその歴史に思いを馳せる良い機会となりました。
「大阪コレギウム・ムジクム」を創設してから45年が経過しました。
まぁ、本当に色々なことがありましたね。
存続を危ぶまれるような外からの圧力もあったかと思うのですが、軌道に乗った勢いといいますか、
それらの問題を振り払うようなメンバーの勢いと気運でこれまで続けてこられたと思います。

 音楽的に言えば、全てが新しく上向きに昇ってきたと言ってよいでしょう。
外からのその評価にブレはありませんでした。
嬉しい限りなのですが、それは目指すべきものがメンバーと共有でき、
私が思う存分〈音楽的向上〉に邁進できたからだと、自分自身も、メンバーたちも自負して良いかと思っています。
その団体も今では[一般社団法人]化して、社会への貢献を前面に押し出しての活動です。
私事に終わらず、社会に向かって広く深く根付くことを願っての組織化です。

 西洋音楽で育った私としては、これを機会に「我が国の音楽」について考えることが多くなりました。
西洋クラシックを生業にしていることが、少し窮屈に感じる事が増えました。
海外公演がそのきっかけなのですが、日本の特殊な音楽環境に気が付いたことは本当に良かったと思っています。
日本人ならば「日本の音楽」、つまり「伝統音楽」を継ぐということが念頭にあってしかるべき。
しかし、実際は殆ど「伝統」を振り向かない。遙か遠い西洋の伝統しか頭にない。
これは如何なものか?グローバル化の時代にそんなことを思うなんて、という声も聞こえてきますが、やはり私は日本の伝統というものに関心を持ちたい。
自分が西洋音楽をする者だからこそ、自分自身の足許、大地が培ってきた文化というものを見つめたい。そう強く思います。

 これまでの活動で多くを学びました。日本人とは何か?日本文化とは何か。その伝統とは何か?
結局、「日本人とは何者か?」ということに至ります。
私自身が創作という事柄に携わっているからこその疑問と格闘、実践と結果という歩みの人生なのでしょう。
その流れで、石垣の音楽を思います。
音楽的に言えば「八重山文化」は西洋クラシック文化と遠くの位置にあり、地理上の距離と気候に関連します。
地球の裏側という距離がその文化の相違をも生み出しました。
〈伝統音楽の継承〉ということに様々な問題を感じます。その存続の難しさは想像を超えます。
本土もその問題、〈伝統継承〉が問われています。「今に生きる伝統」と成り得るのか?
伝統は孤立して良いのか。孤高として保つのか?
それとも現代の生活様式や欧米の音楽に影響を受け、基の形が残っていないようなものに変容してよいものなのか?
長く続いている私の活動に、その問題が大きくのし掛かっています。
まぁ、だからこそ「面白い!」、と思う私なのですが。





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