八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.165


【掲載:2020/11/01(日)】

音楽旅歩き 第165回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

木々や花々に心奪われ、心地良さの一刻を味わう

 私の狭い自宅の洗面所には唯一、花が生けてあります。
一輪挿しや、それより少し大きめの花瓶にお気に入りの花が彩りを添えています。それを見るのがただただ嬉しい!
この「コロナ禍」や時勢を感じての毎日に心が索漠となる状態にあって、その花を見ることがどれ程に心を和(なご)ませてくれていることか。
それは安寧(あんねい)の喜び、だといっても良いでしょう。
正直言えば、生け花よりは野に咲いている花を見るのが一番好きな私です。
自然界に人知れず咲いている花や木々に接する時は、心が喜びざわめく何にも代え難い幸せな一刻です。
あのように何故美しい色が出せるのでしょう。
自らを誇らしく、生き延びるための色であるのでしょうが、人が作り出せる色彩ではありません。
その心を射るような、突き抜けるような色に私の心は「生きている!」という実感を持たせてもらうことができます。
たとえそれが折られた花々や、木々であっても、それ自体が持つ生命力にただただ感動を覚えるのです。
それぞれの生命力に差があったとしても、その衰えていく様がまた私の心に深く印象を刻み込みます。
水をあげなければ直ぐにしおれてしまうもの。
そのまた反対に水がなくても逞しくその美しい姿を保とうとするもの。
それぞれにその変化の様子を見させて頂くことにまた私の心が疼(うず)く感覚を覚えます。

 どこかで「音楽」もそうありたいと思っているからでしょうか。無くても生きていけるかもしれない。
しかし、無ければ生きていることの尊さは判らなかったかもしれない。
花や木に、そして音楽にそっと目や耳を傾ける。
この世界中が困難な問題に立ち向かっていることで心が折れそうになることがあっても、
永遠なるもの、太古から続く自然の営みを感じることで生きるエネルギー、生きる喜びを得る。
最も偉大な恵みを頂いているのだ、そんな気持ちを強く持つことができています。

 「新型コロナウイルス」が人類を襲っています。未知なるウイルスです。どんどんその形を変えていっているようです。
進化するウイルス。人間はそれに対応しなければなりません。ウイルスより賢くならなくてはなりません。
実に、未知なるモノとの生死をかけた闘いです。
負ければ多くの犠牲者を出してしまいます(今、この瞬間にも多くの命が危ぶまれ生死をさ迷われていることでしょう)。
生きて行くことですね。
怖がってただ行き過ぎるのを待っているだけではこのウイルスは無くならないでしょう。
しぶとく、賢く、情熱を持って、人間が成し得る全ての力を結集して闘うしかありません。
「自然」は襲っても来るし、安寧を与えてもくれます。畏れを持って自然と寄り添うことが大事です。
一瞬であるかも知れませんが、花々や木々に生命の尊さを教えてもらいましょう。
私の家の小さな洗面所に示された「我を誇る色彩」「生きるという姿」。
それらによって身体のそこかしこから湧き上がる「生きようとするエネルギー」、それを頂いています。





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