八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.170


【掲載:2021/02/21(日)】

音楽旅歩き 第170回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

春めいています。長く、重く、憂いの冬よ、去れ!

  この時期は石垣島に居るはずなのですが、行くことが出来ずにいます。
二つの理由からです。
勿論一つは「新型コロナウイルス」。そしてもう一つは、最近石垣島に行くことへの億劫さです。気持ちの億劫さとは、以前に比べて感じる島の変化に対してです。
あくまでこれは〈私見です〉ということを言っておかなくてはならないのですが、その変化は居心地の良くないものと私は感じてしまっているようです。
その感覚は私が住む本土の変化と同調しているものなのですが、島の変化のうねりは本土よりも現実的で身近なものとして私には見え、
身は構えて強張(こわば)り、一層近寄り難いと感じてしまっているようです。

 外から眺める石垣島は以前のような島には見えないようです。私にはそう映ります。行き始めた頃とははっきりと違ってきた感じです。
「変化」ということについては、良くなっていくだろうとの思いと、良くないことに繋がっていくのではないかとの思いが錯綜(さくそう)しています。
「新型コロナウイルス」はこの国を一変させましたね。
人々の意識の変化が大きいです。これまで信じてきたものが陰り始めて始めて来たのでしょうか。
それは経済然り、政治然り、そしてそれらを通じて個人の生活様式にまで大きく影響が及んでいます。

 社会的構造が崩れ始めているのでしょうか。
まさか、と思いたいところですが、自分の周囲やニュース、ラジオ(最近のテレビ)などでのコメントに「転換」を感じてしまっている私ですが、どうでしょうか。
「皆〈全ての人々〉が不安なく幸せに!」という思いは、実際に身に危険を感じたところからしか始まらないのでしょうか。
知識だけ、立場上からの空虚な「危険」という情報では本当の「危険」は伝えられないし、解らない。そういうことなのでしょうか。

 去年から世界を震撼させ続けている「新型コロナウイルス」。
ウイルスに感染していない人にとっても、命を奪われる「危険!」が間近に迫っているという感覚。
「新型コロナウイルス」によって人間はかつてないほど恐ろしくて、怖くて、何が何でも避けたい、避けなければ、という思いを強く持たされたように思います。

 話は変わるのですが、前回、島に訪れた時に「電波望遠鏡」を観に行きました。
感動というか、驚異的な、最高度の「人間の智慧」を見せつけられ、自動で動くその巨体に唖然。
日本の各地と各国連携による「宇宙三角測量」が行われている、今のこの世界!
それなのにまだまだ人間がウイルスと闘い、試され、人間同士でも諍(いさか)いや愚かさを見せつけられている私たちの時代って・・・・・・。
それに一種の〈恥ずかしさ〉すら私は感じてしまいます。
「転んでもただでは起きない」精神で行きましょうか。
何に対しても「皆が幸福になる」策を考え、実行する。人間が協力し合うということでしか未来は見えない、訪れない。そう考えます。
春めいている本土です。
長く、重く、憂いの冬よ、「去れ!」です。





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