八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.171


【掲載:2021/02/21(日)】

音楽旅歩き 第171回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!」と叫んでみましょうか

 世の中の流行(はや)り廃(すた)りを追いかける私ではないのですが、どこかそれらに対してアンテナを張っているところはあります。
ワクワクさせてくれるものもあれば、別に気にもとめずにスルーしたり。
それは世の中の動きであることは確かですから、そこから真に目を向けるべきものが見つかることもあって、その選別は難しいです。
音楽が仕事ですから、それもクラシック畑なものですから、その領域でのアンテナの情報受信は敏感です。
私にとってその情報に対する批評の目は欠かせないもので、それが疎(うと)くなれば私の仕事への影響も大きくなり、自身の〈演奏〉評価にも繋がります。

 〈現代〉を知るにはクラシック畑だけでなく、幅広く目を向けておきたいと思いますね。
ちょっと小耳に入って来た歌がありました。J-POPの世界です。
いま、小中学生から青年層まで人気を集めている歌らしいです。
曲の中頃に叫ぶ「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!あなたが思うより健康です!」というところ。「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!」のサビが叫ばれます。
女子高生シンガー(Ado)が昨年10月にリリースした曲らしいです。
大音量、そして過激な人工的リズム。私にはちょっと苦手なこの世界です。
しかし聴いてみるとその歌唱力は確かなもので上手く、曲も良くできていて歌もテクニカルです。それが流行っている大きな原因だと思います。
メッセージ性を感じるので歌詞に目をやります。内容は一見、その世代の意識を反映しているかのように見えるのですがどうもそれは違うようです。
作曲した人は歌っている本人ではなく、別な男性らしく(ちょっとミステリアスな取り扱いにしているらしい)、彼が社会(会社)体験の中で味わった思いを吐き出しているような叫び。
これは一種の「恨み節」ですね。

 歌っている子どもたちはその内容に共感してはいないでしょう。
単純に「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!」という歌いやすいフレーズ、それを叫ぶことで、子どもたちにも身の回りで起こっている事に対する〈憂さ晴らし〉と感じているからでしょう。
歌詞をみれば(ここでは掲載しませんが・・・・・・)、小中学生が理解できる内容(世界)ではないですね。
〈口(言葉)〉だけが叫ぶ。内なる社会的規範に抗うわけでもなく、打破していこうということでもなく、自身にすりこまれようとしているものに毒づく〈私〉の世界。

 これこそ今の世界を表しているのではないか、と思う私です。
「歌は世につれ世は歌につれ」ですね。一曲が実にさまざまな世の中の姿を見せてくれます。
できれば「恨み節」でなく、広い目線で明日を生きぬくメッセージ、〈内なる私〉を離れて〈外への私〉に繋がるメッセージ性が欲しいと思う気持ちが強いです。
歌う子どもたちが社会と力強く向き合い、呼応しあいたいとの叫びであるならば、私も一緒に叫びたいですね!「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!」と。(なんと過激な!と思いつつ)  





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