八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.174


【掲載:2021/05/02(日)】

音楽旅歩き 第174回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

優先させるべきは「人の命」です。そのための対策を!

 どうも勉強に身が入りません。しかし、コンサートのためのスコア読みや練習はやらなければなりませんから重い腰を上げて自室に籠もっています。
でも集中力は短い!気はそぞろで、色々雑多な思いが頭を巡って気が散ってしまっています。
もう、その原因は判ってはいるのですが、それを吹っ飛ばす元気も起こらず、ダラダラと「している感じ」だけで時間が過ぎていきます。

 ゴールデンウィークに入りましたね。この時期、「コロナ禍」では外に出て身体と気持ちをフレッシュにとの旅行もできず、自宅で閉じ籠もりの日々となるでしょう。
実質、練習は休みとしましたし、しばらくコンサートもありませんから(これを書いている日はコンサート明けの日でやっと身体を休めることができています)、ゆるりと余暇を満喫して過ごせる筈なのですが。
集中できない原因、それはやはりコロナ対策の不可思議さと、それ故の憤懣遣る方無い思いでしょう。
個人的な楽しみでもってこれからの期間を過ごすってことはできると思うのですが、人(仲間)との交流ができなくなってしまうのがやるせないですね。
いかに私という人間は〈人との交流〉で生き甲斐を見出しているのかを思い知らされます。
家に閉じ籠もり、部屋や本や家具、そしてオーディオ機器などの整理とメンテナンスは私には負担でなく楽しみで、それらで時間を過ごす絶好のチャンスでもあります。
コンピュータのお世話も今ならでは、ですしね。

 楽譜から離れて身体を使う仕事が良いとか、ここら辺りで他のことに頭を働かせるのも健康作りの一端だと自分に言い聞かせての動きでしょう。
事実そうなのですが、どこか満足感がない。この閉塞的な重苦しさは毎日の憂鬱と集中力の欠如に繋がっています。
未だに収束を見ない世界を震撼させているウイルス。どんどん自身を進化させているウイルス。
そんな強敵を恐れずに邁進できる「信頼」とか「希望」とか「平安」はないものでしょうか。現実は真逆ですね。私にとっては「不信」、「失望」、「不安」となって襲ってきています。
ただ音楽だけが、生きる証であり癒しとなってエネルギーになっているのですが、一般的にはコンサートの開催は歓迎されてはいないようです。(一般的というのではなく、この国の政府の対策がでしょうか)
ですが、コンサートを通じて感じるのは「活動の歓迎」であり、より強い音楽への渇望と愛着、そして幸福感だと断言できます。

 夏に向かっていますね。気温も上がって(地球規模では温暖化ですが)活動的な季節に入っていきます。
ウイルスも少しは活動を控えるでしょうか?(変異株は如何に?)。この国ではこれからはウイルスに加え、大雨、台風、地震など心配すればキリがないほど災害の前後策が最重要事項です。
真剣に個人の対応策が必要ですね。
その間に国としての対応策をもっと強化してもらわなくては!
何を優先させるべきか。
それはもう当然のことではありませんか。「人の命」です。
頑張りましょうか!





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