八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.211


【掲載:2023/04/23(日)】

音楽旅歩き 第211回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【破壊へと向かった道と希望へと向かう道との分岐点にあるもの】

 現首相を襲う若者。その前は前首相も襲われ、一命を落とされた。
何か不安定な世の中。その行動の意味について様々な意見が交差し闘っている。
そんな中、私の周りは粛々と続く活動。
団員は忙しい。私もそれら団体を回って練習、本番と、休み返上で飛び回っている、それが私の現状です。

 音楽って何だろう?といつもにも増して悩むことが多くなりました。
世情が乱れている時こそ、音楽によって心の平安、静かな思考、そして心の喜び、鼓舞をもって平静さを保つ。
そのような働きを音楽が果たすのだ、と我が身に言い聞かせるものの少し心許ない。
現実はそんな甘いものでなく、もっと切羽詰まった事として動いている。そうでないとあのような殺傷行動にはならないであろう。
私の毎日が音楽に溢れているからこそ、一層気になって仕方ない若者の行動。
周りが見えなくなってしまう心理状態。
目的を果たすためには己を含めて他者も傷つけて良いとの自身を追い詰めた心とは一体どういった経路を辿った決意なのだろう。
ぐるぐる私の思いは巡ります。

 私にも危険で黒い部分もあった時代を思い出すのですが、どうして大きく一歩を踏み外すことにはならなかったのだろう。
破壊への道へと進まなかったのだろう。私の運の良さだけでは無さそうです。
憎むべき対象は持っていましたね。いっぱしの社会正義だと思っての怒りでしょう。
これは今も続いている私の行動指針です。繰り返しますが、しかし私は破壊的にはなれなかったし、今もこれからも自暴自棄的な事は決してしないでしょう。 私には確信が持てた事があったからですね。
だから破壊的な事はしなかった。それは「何とかなる」「希望が持てる、見える」「決して悪いことだけではなく良いことが訪れる」。
私には喜びに満ちた生きている証、命さえも救ってくれた「音楽」、それがいつもあって、そして救われた。
加害者へと進んでいった若者には救いとなるもの、希望へと繋がるもの、共に喜びを分かち合う仲間が居なかったからではないか。
そんな思いが頭をもたげます。

 どんどん今の世は未来の自分自身が見えなくなっていく。
見えないような仕組みになっている。
私一人が何か言ったところで、求めたところで「世の中、何も変わりはしない」。
未来を見ようとしても見えない。
私にはそのような思いとなっていく者の気持ちは理解できる。
ひしひしと伝わってくる苦しい息づかいは解る。

 喜びと平安との満ち足りた時、その「音楽」を持って忙しく飛び回り、
時間に追われる私の中にもジレンマに陥(おちい)り、闇のような心に燻(くすぶ)る重い澱(おり)を感じる。
とてつもない不安に苛(さいな)まれる部分。それと対峙し、また音楽に救われる。その繰り返し。
行き場を失いそうな若者に「希望」が与えられないのだろうか。
社会が救えないのだろうか。進むべき道を示し、教え、導いていくことのできる社会は繁栄する。
そう信じますね。
しかし、そうならなかったから犯行に及ぶ若者が現れる。
堂々巡りが続きますね。





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