八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.212


【掲載:2023/05/07(日)】

音楽旅歩き 第212回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【昔観た映画「沈黙」が甦りました。暗く切ない記憶です】

 合唱団のメンバーから久しく忘れていた言葉を聴きました。
「沈黙」という映画。以前、原作を読んで観た映画はとても衝撃を受けたので覚えていました。小説家、遠藤周作の作品です。
「遠藤周作」とても面白い方でした。
世間を斜めに見たような発言、悪戯(いたずら)好きで、それでいてとても深くて辛辣(しんらつ)な評論もされた。
一般的には豪放磊落(ごうほうらいらく)、小さな事にはこだわらない、度量が大きな知識人としてのイメージが大きかったように思います。
「狐狸庵(こりあん)先生」とも呼ばれて人気もありました。
エッセー「狐狸庵閑話(こりあんかんわ)」の題名を「コリャアカンワ」と自身で〈しゃれ〉ています。とてもユニークな方でしたね。

 先に挙げた小説「沈黙」は欧米で翻訳され高い評価を受けています。
それに大きな影響を受けたアメリカの映画監督マーティン・スコセッシによって2016年「沈黙 -SILENCE-」として公開されました。
メンバーにこの映画の話をしたのですが、私の記憶に残っていたのは日本の映画監督、篠田正浩監督が1971年に映画化したものです。
当時、強烈な印象を与えられました。
日本はキリスト教を受け入れることができない国という目線で描かれていて、作者の遠藤周作も脚本に関わっています。
そしてもう一つ、音楽を武満徹が担当していたことも大きいですね。
「日本は沼地、何処にも根は張れない」との台詞は胸に突き刺さります。
「不毛な地」との意味合い、これは今も私が悩まされるキーワードです。
この日本には「不毛」な事が多すぎる。議論も、約束も計画も全て「成果」「結果」を確かめられない。
経緯が記録されない、残さない。本質が見えなくなってしまう言葉の乱立で時間を浪費。
あるいは時間カットに時間ジャンプ。映画(小説)の内容と現実とがダブります。

 一歩一歩の「成果」を確かめられる人間関係、そしてコミュニケーションをと願いつつ、
いつも堂々巡りして有耶無耶(うやむや)のうちに過ぎ去っていく日常。
これでは「信頼」は成り立たない。
「疑い」「仮定」を元にした会話のなんと空虚な世界であることか。
悩める日本(と映る私です)が深く深く私の思いを沈めていくようです。

 人間って理解し合うことがそんなに難しいのでしょうか?
今ここに一冊の本を読んでいます。
「山上徹也と日本の『失われた30年』」五野井郁夫/池田香代子著〔集英社〕。
山上徹也1364件のツイートを分析したものですが、読み応えのある内容です。数々の現象が起こりつつあるこの日本。
それを快く思っている者、そしてそれを危機として捉える者、それぞれの各情報が交錯して不毛の(と私には見えます)闘いが心痛い。

 今日のニュースではロシアのクレムリンが攻撃されたとの報道。
銘:『時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、
明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。(セネカ、大西英文訳)』





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