八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.217


【掲載:2023/07/30(日)】

音楽旅歩き 第217回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【「聴く」を知って「育ちの良さ」を身に付けませんか?】

 孤立する人、したい人の話は少し横に置くとして、普通は「持ちつ持たれつ」の関係を保ち、孤立することを避けます。
これは互いが必要であって、生きていくための知恵でしょう。
相手との関係に対して打算の無い純粋な気持ちで接する人がいますが、人って「疑い」を持つのもまた居て、
いや、これが本質でしょうからこちらの方が多いかもしれませんね。それが色々な物語を生みます。
知恵者にも狡猾(こうかつ)な者にもなる。その差はどこから来るのでしょう。
ある評論家は「生まれ育ち」に依る、と辛辣(しんらつ)な言葉で説明していましたが、なる程と思わされました。
人って、教えられて人格を作り、そして育てられます。
そうであれば先ず最初の段階、育てる大人から学ぶ、ということですね。
両親かもしれません。片親の場合もあります。あるいはいわゆる事情があっての「育ての親」もあるでしょう。
どのような場合でも、人からの教えと、生活する周りの環境が大きく影響して差を作ると考えると解りやすいです。
やはり何事も「その人にとっての学習経験」です。その最初の一歩は「対話」ですね。つまり話しかけること。
話しかけは人間社会の全ての基本です。
もし赤ちゃんが聴覚障害〈聾(ろう)者〉であったとしても、「語りかけ」は重要だと私は思っています。
言葉は解らなくても温かく見守ろうとする愛は、声の調子や触れ方で伝わると確信します。
その事はまたの機会に書くとして、ここでの問題は「聞く」ということに関してです。
この漢字、「門」に耳ですね。「門」は立ち上がった二人の直立した人間の側面を表した象形文字だそうです。成る程です!
「聞く」はこの二人の間に「耳」が付いているものです。
もっと古い字形には「門」の上に耳が乗った時代もあったようです。
「聞く」は二人の人間が何か(きっと神の声)を聞いている形なわけです。
黙っていても耳に入ってくる際に使います。「聴く」という漢字があります。
これは能動的(自らが他に働きかける)、意図的(ねらいを持って)に聴いている様子を表すときに用います。
大事な事です。「聴く」とは積極的に「理解しようと自らが進んで耳を傾ける」事なんですね。
人間として育てる。それは「聞く」ことから「聴く」ことへと身に付けていく手助けをすることです。
ですから「相手の言葉を理解しようと聴く」という教えを受けた者が「生まれ育ち」の良さ、との前述の説明なのでしょう。
コミュニケーションの大切さは自明ですね。
人間関係を作るにあたって大切なことは自分のことばかり話すのではなく、相手の言葉を〔聞く〕事から始め、
相手への理解を深め、意味だけでなく、言葉の情感をも知ることなのですね。
我が国はヨーロッパなどの人間先進国(不適切な表現ですかね?)に比べれば、会話のキャッチボールが下手です。
外国との対話経験が乏しいがために人間力を磨くことができなかった。
その事を知ることから始めようではありませんか、との自問自答です。





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