八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.218


【掲載:2023/08/13(日)】

音楽旅歩き 第218回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【「従属」によった判断は〈利〉とは成らない】

 物事の判断は、趣味・嗜好(しこう)の類(たぐい)でもありますから、人によってどのように決めるかはそれぞれに違います。
ある人にとって「良いもので好き」となるかも知れませんが、ある人にとっては「良くなく、嫌い」ということもあります。
もしその判断が「狭い交友関係故の利害」や「政治的な思想」と結び付くと事情は異なるでしょう。
「本当のところは別にどうでも良い」ものでも、「正しい」とか「間違い、誤っている」と応えてしまいそうです。
まして「〈利〉」が絡むと良からぬ方向へと傾きます。

 人間って周りとの関係で成り立っています。我が国は特に周りを気にしすぎますよね。
「村八分」を恐れる習性がこの現代でも恐怖と思う人は多いのではないでしょうか。(江戸時代260年間に築かれた習性ですかね)
気配りは大切ですが、自分を失ってしまうほどの「人に従属」は考えものです。私はとても良くないと思いますね。
我が国の民は、まぁ従属によって自分を失うことがどんなに大きな損失かとの意識が薄すぎるのでしょう。

 日本人の「我慢強さ」の美徳。これは世界で一番かもしれません。
外国の方と話をしても彼らは「従属による妥協」を拒みます。
とにかくあの人たちの「自己に対する誇り」は日本人の比ではありません。(自己が強くてその対応は確かに大変な人もいますが)
この国でクリエイト(創造)する人は生きづらいです。
周りに対して先ず何よりも優先して気遣いをしなければ物事が進まない。
自分で決めるということの習性がない。訓練されることなく生活が続いたことの結果です。
周りの評価を気にし過ぎることなく、自分が正しいと思う信念にしたがって判断し行動する、ということをしなければ、
実は自分自身にも、他に対しても〈利する〉ことはない。
それが歴史が教えてくれている一番大切なことだと、この年になってやっと強く自身を律するができるようになりました。

 後2年で50周年を迎える私の音楽活動の始まりは、今から思えば周りからの「無視」と「否定的な批判」からの始まりです。
しかし、外国での高評価で日本での評価が一変したのは嬉しいを通り越して、少し「滑稽(こっけい)」すら感じましたね。
人の判断は「絶対的」と思わない方が良い、と学びました。
「人は人」「私は私」。どちらにも何かに従属することなく互いの〈利〉を探る。
その為には物事の判断は多様性(他を認めること)から学び、自分の信念によって決める。
その互いの「信念」を単純に他への否定から始めず、理解できるように徹底的にコミュニケーションを取る。
これ、実にしんどい=辛いですが、人間が怠ってはならない「社会人」としての基本だと考えます。

 〔台風、大変でしたね。ずっと気になってニュースに釘付けです。
(石垣島はあまり登場しませんでした。もっと報道すればよいのに!)
島は台風に慣れているとは解っていますが、今回は心配でした。
生活に支障があったことでしょう。無事であったことを祈ります。〕





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