八重山日報コラム
ある作曲家から「当間先生は孤高の人ですね」と言われたことがあります。
【掲載:2023/10/08(日)】
音楽旅歩き 第222回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【「孤独」を超えて「孤高」へと向かう】
それはきっと、どこにも群れず、媚びず、我が思いに忠実に世を渡る、ということの意味で言われたのでしょう。
確かに身近な人にはそのように〈生きる〉とは言ってきました。
語った作曲家氏ともよく「孤独」について話をしました。
ものを書く、特に曲を書くことは「孤独」です。
よい作品であればあるほど「孤独」を自らが感じ、味わうことになります。
独自の世界観で書かれる作品こそ、望ましいと思う私。指揮者としてそのような作品に惹かれます。
流行のスタイルで書くことは、ある意味たやすく、受け入れやすさも安全であり、認められやすさもあって追いやすい。
そんな曲は山とあります。
編曲(特に音色の多彩化を狙った楽器群とリズムの変化を付ける)によって一見新しくは見えますが、
演奏し、聴いてみれば感じるものがまた皆同じです。
個性ある作品はそう有るものではありません。
その曲が未来永劫残るかどうかは定かではありませんが、私がそれらの曲から多くを学び、聴衆にその喜びを伝え、
反響も沢山受けてきたことは間違いありません。
そのような作品に出会うことは演奏者、指揮者にとって「最高の喜び、愉悦」です。
親しい作曲家、西村 朗氏が亡くなられました(2023年9月7日〔69歳〕NHKの番組にも出演されていました。音楽界では有名人です)。
突然の死でした。本人も驚いたようで、その悔しさもひとしおだったでしょう。右上顎(じょうがく)がんでした。
この癌、発症率も低く、症状が出にくく、発見された時点で既にステージが高いという厄介なもの。
診断された時の失意はどんなに大きかったことか。
彼の作品を演奏することは喜びでした。しかし難易度の高い作品がほとんど。
難しい故に演奏する団体もそう多くはなかったと思います。
私が演奏する時、必ず聴きに来られていました。
演奏会後の「打ち上げ」では明るく、陽気で、独特の毒舌で皆を笑顔にしていたのが印象深くて、
今思い出しても〈死んだ〉ことが信じられないくらいです。
彼の作品はどれも妖艶でした。
快速の中に、ひどくゆっくり(これが特に難しい!)の中に、心を揺さぶる艶めかしさを持つ。
彼は私に「兄弟だね」「一卵性双子だ」と言っていましたが、きっと彼の思いを私が識っての演奏だと感じていたのでしょう。
私は指揮者として真の理解者を、そして彼にとっては識った演奏者と別れることになったのです。
今月9日、彼の作品を京都で演奏します。
会う予定になっていたのですが、それは叶いませんでした。残念です!
彼も孤独の中に居たことでしょう。いつも誰よりも先を歩き続けていました。
「音楽」への造詣が深く、他を引き離していたと思います。
彼は「孤高」となって歩み、そして理不尽な病魔によって世を去りました。
これから作曲家としての真価が問われます。ファンが沢山いました。私もその一人。
生きている限り彼の曲に携わりましょう。「兄弟」として。