八重山日報コラム
SNS上で〈ディスって〉いるのを見ると心が痛みます。
【掲載:2024/01/14(日)】
音楽旅歩き 第227回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【我が国は注目されています。ここ数ヶ月が特に注目でしょう】
〈ディスる〉とは相手を否定する、侮辱する、批判する、けなす事ですね。
語源は英語のdisrespect(dis-respect ディスリスペクト)の略語です。流行り言葉で最近よく使われます。
要するに軽蔑、馬鹿にしたもの、言葉が荒く、乱暴な意見を言いますね。
心ない内容は似通っています。同一の人なのか、それとも協力し合って一斉に複数の人が発信しているのか。
とにかくSNSでの実名でなく匿名による表現は汚い言葉使い、人間の暗い部分を見せつけられるようで悲しくなります。
それらは「コロナ禍」から顕著になりましたね。
世の中の不安が募(つの)れば募るほど、分断が進めば進むほど対立が生まれ、攻撃的になっていきます。
現在では、能登半島地震の支援に関して、そして原発(原子力発電)問題。
我が国は世界からみれば異質だと思いますね。全ての問題に対する対策は後手(のように見えます)。
先の「東日本大震災」に学ぶべきことが多かったと思うのですが、それも見えず。
地震国日本、意見の対立は簡単に言ってしまえば「国寄り派」か「懸念派」だと思うのですが、
とにかくどちらも検証なく決めつけ、応酬する
。
出処の危うさにお構いなしです。
今話題の「派閥」の政治資金のパーティーを巡る問題。
この体質、これから日本はどうなっていくのでしょう?
一部の人たちだと思われるのですが、何故あれほどに熱く〈ディスれる〉のか?余程の理由があるとしか思えません。
〈ディスられる〉側は応戦に苦慮。
「懸念」の思いだけでは攻撃的にはなりません。
熱くはなっても自身が不安、恐れることは避けようとします。
そこが両者の違いかと思います。
「国寄り派」と書きましたが適切かどうか?ただその主張は多数派であり、権力を持っている側の主張と同じことが多いです。
「強いもの」に沿っている方が安心という事でしょうか。
後ろに控えているのが強ければ強いほど威勢がよくなるのは理解できます。
また、つい汚い言葉になってしまうのも〈気持ちの良いもの〉かもしれませんね。
いつも思います。そのやり取りをしている最中、意見さえ述べることのできない状況、環境に喘いでいる人が居るということを。
〈ディスる〉人も、〈ディスられる〉人もまだ余裕がある、だから戦う。
表に出てくる症状は判りやすい。しかし精神的な痛手は判りにくく、後々まで色々と後遺症が現れる。
暴力でなく、また言葉による暴力でもなく、真っ当に議論できる戦いをしたいですね。
いつの時代でも「弱者」が忘れられる。しかし国を作っているのも、維持しているのも「弱者の層」です。
圧倒的にその層が厚い。何故に層が厚いのに弱者となるのか?
この構造はずっと変わらない。歴史の三千年、五千年では人類の傷つけ合い、権力闘争は克服できないという事でしょう。
我が国は注目されています。間違いなく世界から目が注がれています。
ここ数ヶ月が注目でしょう。目を凝らして過ごします。