八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.228


【掲載:2024/01/28(日)】

音楽旅歩き 第228回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【「言い訳」の妙は日本語に由来する、「言い訳考」その一です】

 頭の回転の速い人は「言い訳」も速い。瞬時に言葉が出てきます。「早!」と驚きです。
「言い訳」と呼ばれるのは良くない事を人から指摘されたとき、とっさに言葉として出る自己保身の成せる業。
後から考えれば稚拙さが覗く言葉となっていることが多いです。
「売り言葉に買い言葉」的な意味だとも言えます。
この現象は「脊髄反射」的反応、つまり大脳皮質を経ないでの反射、これは早いはずです。
しかし、その言葉は言う本人の本質を表しています。ですから「言い訳」を聴くのは大切です。
沢山の人々と出会い、交際があればこの「言い訳」とも沢山お付き合いをしなければなりません。

 「言い訳」を論破するのは楽しいですね。
言い負かされてしまえばそこで終わってしまいますが、
放たれた言葉にしっかりと「理」を持って対するのは〈知恵の成せる業〉として楽しい高級な遊びとなります。

 前置きが長くなりました。
最近テレビの情報番組などでコメンテーターとか、ゲストの論客と言われる人たちの意見や解説をこの「言い訳」に過ぎないこととして受け取ります。
その論調にどこか胡散臭さを感じるのですね。
始めに結論有りき、ある方向へと導こうとの思惑があるような口調が見え隠れしています。
問題の〈すり替え〉が常です。問われている、聴かれている事柄に真正面から向き合わず、応え(答え)ず、異なった論へと移してしまいます。
それが堂々と行われるから驚きです。
聴き手もその〈すり替え〉を突き返せず、まんまとその手にかかってしまうのを見れば情けないことおびただしい。
理路整然と語る様の「言い訳」、滑稽(こっけい)なのですが本人が真剣に成れば成るほど理路が壊れていく。
自分の言に酔ってしまうのでしょうか。狡猾(こうかつ)さが顕わになっていきます。
熱気、語気が強くなっていく。そんな茶番を公共の電波を使って垂れ流す。
本当にこんな番組が多くなり、無駄な時間を費やしていいものか、と嘆きます(段々と私も熱気を帯びてきましたかね)。

 日本における「米軍基地」、政治と金、公共事業、政界と財界の癒着(ゆちゃく)、
裏金と脱税、司法と行政の関係、国会運営、これらの問題に「言い訳」が溢れ、当然のようにまかり通り、国民の縛りとなっていく。
「嫌な世の中になってしまった」と嘆く人々の声が私には聞こえます(私も嘆いている者の一人です)。
日本語はとても曖昧な言語です。事を曖昧にする言語です。極論すれば「白」を「黒」と表現できます。
「嘘」を「真実」と言えます、書けます。表現法が柔軟で奥深く、きめ細やかとも取れますが、なんと無責任さを助長するものか。
解釈する域を多く残し、結論を端的に表せない(実は言えますし書けるのですが。わざと言わない、書かない)。
日本語とは複雑で、難解で、厄介な言語です。
それを私たちは母国語として毎日、日夜を問わず用いて思考する。
それらの欠点を補う思考力を持たなければ、私たちは私たちの言葉で私たちを滅ぼしてしまうかもしれないのです。(この項続きます)





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