八重山日報コラム
我が国醜悪の国政の姿が次々と表にで始めていますね。
【掲載:2024/05/19(日)】
音楽旅歩き 第234回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【従属の沈み行く国から誇れる国へ】
これまでに都合良く、狡猾(こうかつ)とも言えるやり方で計画的に進めてきた方々は上手く運べるとほくそ笑んでいたかもしれませんが、
現在はどんな面持ちでその事態を捉えているのでしょうか。
また、法律成立を担っている国会議員が、法律上も倫理的にも不正な「お金」によって人選と選挙を行っていたとの疑惑も表に出てきました。
もうこれはこの国の骨幹を問われる事態として、表沙汰になってきた恥ずべき醜態です。
この国はなんでも「お金」なんですね。「お金」が人間行動の舵取りとなっている。
長いスパン(時間的な幅)で考える人は少ないのでしょう。
視野が広く、思慮深く、賢者が世に表れにくい、ある種の策が取られていたのでしょう。
食料、少子化、エネルギー問題、インターネット、そして国民が願う健康対策と保険、安心の福祉。
どれも優先的にはならなかった。気が付けば世界中から後れを取り、一部では回復不可能とさえささやかれる国になってしまった。
どうしてこんなことが起こってしまったのでしょうか。
私が思うに、この国の人々の性格が一番の要因ではないかと思ってしまいます。温和しく、優しく、忘れっぽい。
この国、不満の表明や要求を求めて、抵抗運動がありましたが、国全体を揺るがし、巻き込んでの「反対運動」というものがなかった。
「デモ」も片隅のニュース。大きな話題として、国民の権利として大々的に報道されるという記事にはならない。
過小評価され、「無駄」な行為であるとの印象を焼き付ける扱い方にされてしまう。
以前にも書いたと思うのですが、日本語というものは実に曖昧で、どうにでも解釈できる言語です。
思惑を持つ人はそのことを巧みに用います。
はっきり言ってしまえば、騙す手段として、言い回しと甘い言葉を用いて目的を達成させます。
目の前の美味しい話を用いるのですね。初めからやる気もないのにです。
困ったことに、日本人の性格がそれらを信じ、疑うことを嫌います。
そこに同調圧力が加わって個々の主張の自由を抑えます。
一丸となり、推し進めます。間違っているかもしれないのにです。
戦前、戦中の社会風潮がそうであったと記憶する人々の話に耳を傾けず、想像すらしようとしない人が増え、
悲惨な体験をした叫びを想像できない、聞けない人が多いということですね。
最近のニュースでの「水俣病患者・被害者の懇談会」マイク問題。
担当大臣、官僚の対応の酷さはそれを象徴している事象です。
いかに我々は歴史を大事にしないか。「唯一の戦争被爆国」。その悲惨な、地獄のような光景を想像すらできない。
為政者は安全?語る自身は危険なところには居ない、居るワケがないと。死ぬのはあくまでも自分以外の人間。
いつまで経っても旧態依然。情報は隠され、示されず。法までも歪める。開き直りと、居直り。
もっと視野を広め、一国だけに従うのを止めて、〈外交〉を通じて私たちの「日本」を誇れる国にしませんか。