八重山日報コラム
発声法を教えています。というか、私が新しく発声法を生みだした本人です。
【掲載:2024/06/30(日)】
音楽旅歩き 第236回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【「人は容易に信じてはいけない」ってこと「自分を信じる知恵を持つ」ということ】
ただし、沢山有る発声法がある中のそれは「一つの歴史的発声法」でしょうか。
その基を研究して実践をしたのはアメリカの学者なのですが、その方法をいち早く日本で実践したのが私ということになります。
当時は受け入れて頂けなくて苦労しました。
どんどんと私の合唱やソリストの発声が変わり、明澄に、そして言葉をしっかり聞き取れるという成果をあげていたのに、です。
特にソリストとして、または大学で声楽を教えていた、それまでの時代を築いた先生方には不評でした。
その時の不思議さが今の私の社会を見る目の基本となっています。
日本人は何に対しても新しいものと感じるものには否定的です。余りにも既知のものと違っていたからでしょう。
しかし、世界の潮流は私が提唱した発声による響き作り、音楽作りでした。
時間はかかりましたが徐々に私が作るその音楽に驚き、賛意とその成果を認めて下さる専門の方々が現れました。
何と言いますか、「他からの評価」が必要なのですね、この国では。
コンサートではいち早く受け入れて下さったのは聴衆です。
しかしながら、その聴衆の中にはそれまで聞き馴染んでいた音楽とは違ったものに戸惑う方々がいました。
その方々の感想は総じて「はてな?」なのですね。驚いていながら、良いとは感じながら、感想を語らず「沈黙」です。
同じコンサートで「これまでに聴いたことがない、これこそが望んでいた響き、音楽だ」と感想を頂く方の言葉は熱い。
それを知ると「これでいいのだ。続けよう!」との思いが溢れてきたものです。
現在では、私がイメージした発声が主流になっていると感じます。変われば変わるものです。
あの不評の時代が懐かしく、「色々と人間を教えて頂いた経験」として貴重なものでした。
「良いものは良い」ですね。人は否定しながらも心の何処かでは全否定できずにいる。
いつしか自覚すること無く変革が自分自身に起こり、変化していていく。「良いものは良い」が行われたということです。
学んだことがあります。「継続する」ということですね。
信じて行い続ける、語り続けるということです。
自分を信じるなら、諦めたり、弱くならず、熱い言葉を発して頂いた方々の笑顔や驚きと感動の顔を思い出しながら、
息長く続ける、「継続する」、を突き進めていくことです。
日々の生活と直結している「政治」も同じですね。信じることが異なり対立する。
今の日本の政治も対立し激しくぶつかっています。
国会も何だか一目散に物事が決まっていく。
永田町では「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」が踊りまくっているようです。
最近では「沖縄県議会議員一般選挙」の結果が、そして「東京都知事選挙」も気になります。
人間は何を見ているのでしょうか。
私が経験して言える事は「未来を見間違う」ってこと、「手っ取り早い事を取ってしまう」ということ。
「人を信じ過ぎてはいけない」【自分を信じる知恵を持つ】ってことです!