八重山日報コラム
東京都知事選挙が終わりました。
【掲載:2024/07/14(日)】
音楽旅歩き 第237回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【都知事選挙が終わり、課題が多く残り「賢」が問われ始めました】
終わってしまえば色々と考えさせられる事の多かった選挙で、民主主義のある種の姿が見えましたね。
それをきっかけに分析する人が多く出て、SNSを賑わせています。これは良かったかも知れません。
それこそ情報として今後更に思考を重ねる事が出来るからですね。
どのような姿を見せたのか?若者層に顕著なのですが、それは印象が候補者を選ぶ大きな要素になったということ。
政策とかこれまでの成果による人物評価よりも、それらを飛び越え「印象」と「短絡的思考」が優先されたということ。
深く考慮しての行動では無く、疑い、調べ、様々な情報を得て結果を出したのでは無さそうという読みでした。
しかし、一様に述べられていた事があります。「マスメディア」への不信です。
偏向とも取れる記事と、報道すべき事を記事にしない姿勢がその不信原因です。
勝者とその支持者たち、そして敗者とそれを応援した人たちの今後が気になります。
勝者も本当のところは信任が危ぶまれ(選挙前には幾つかの問題で訴えられています)、
敗者の二人には先に書いたように、一人に対しては執拗な個人攻撃が起こり、その上偏向報道の疑い、
もう一人は皆が「え〜!」と驚いた(私もそのうちの一人です)SNSでの印象操作による得票数の多さが話題。
その結果がそれぞれに後を引いています。
この選挙で見えたのは、民主主義の成熟度です。
とにかく民主主義というのは、制度があるから良し、とはいかないのですね。
それは「民度」に依るわけです。
ですから選挙権を持つ人々の意識と情報を得る知識が絶対に高くないと後悔を残すことになります。
日頃のチェック能力が問われるのですね。
今の日本では、「そんなに日々緊張感のある生活はイヤだ」と思われるでしょうが、
本来備わっている民主的な思考を持つならば、そしてそれが当たり前になれば、緊張感に依って疲れるということにはなりません。
それが生活の基盤で有るわけですから。それを得なければ生活は不安定、あるいは崩壊するかも知れないのですから。
実は、勝者にとっても敗者に取っても、生活の基盤は「幸福」にあって、それは「我のみ」では成し遂げられず、
何人にも与えられていなければ成し得ないのだと気が付く事なのですね。
地球の自然環境と同じです。生態系を維持し、バランスを保つことで生命がこの地球上で息衝(いきづ)いています。
弱者と見えることでも、それは必要とされる存在であって、排除すべき対象では無い。
それをサポートすることで強者と見える者にも極めて盤石な「幸福」の基盤が与えられるのです。
民主主義を履行(りこう)するためには名前が表しているように「国民が主」とならなければならないのです。
その国民が「愚」であってはなりません。「賢」とならなければ実現できない、これは明白です。
今回の都知事選挙は大いに意義有る結果となったと私は思っています。
沖縄の米軍の犯罪が今になって公になりました。
これは身近な「賢」への問題提起です。