八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.240


【掲載:2024/09/08(日)】

音楽旅歩き 第240回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【後悔ではなく納得のいく道を選びたい。「我慢」でなく「納得」の道です!】

 日本の政治を担うのは自民党一党だけと思っている人は多いのでしょうね。
確かに戦後から現在に到るまでこの党が執政の中心だったのですから仕方のないことだと思うのも当然。
しかし最近は、特に『コロナ禍』開けからは矛盾点や、明らかに法を破るような珍解釈、脱法が明るみに出てしまい、この党に任せていても良いのだろうかとの意見も多く出始めています。
「権力」ってそれほど、その席に座りたい執着を掻き立て、どんな嘘をついてでも保持したいものなのでしょうね。
一度持った「権力」は絶対に「離さない!」と。
野党と呼ばれる人たちも同じような人たちなのでしょうから、与党と呼ばれる人たちに対して新しい価値観を持って貰うことは至難の業と分かります。
最近このコラムでも書いているように、この国では一度も民主主義的な政治を行えなかったのですから、これに対しては本当に気が遠くなる思いです。
断っておかなくてはなりませんが、この「民主主義」というのは人によって曖昧、その受け取り方、解釈も異なっています。
私が思う「民主主義」とは簡潔です。政治にとって一番大切なのは、この国に住んでいる人たち全てが大切、それらの意見が反映されるということです。
一応ここでは「住んでいる人」と書きました、「国民」と記すのが妥当なのでしょうが、その言葉の解釈にも異論があるようでなかなか厄介ではあります。
議員さん達やそれに群がる人たちだけが政治を司るのではなく、
あくまでもそれらの人たち以外の意見が反映される政治でないと「民主主義」ではないということです。
ある党の中で選ばれた人がこの国の総理大臣となる。
何だか解せません。もうそろそろ直接総理大臣を選べる、あるいは投票に反映させる方法を模索しても良いと思うのですが。
以前ならば、「愚民」である人たちに直接選ばせるのは危険だ、とも思われたのでしょうが、
そういった思いの中でいつしか利権などが蔓延(はびこ)ってしまったというのが現代なのでしょう。
その利権を、法をも犯してでも守りきる。なんともはや今となっては手の施しようがないということです。
それでなくとも我が国の人たちは「変化すること」を好まない習性(これだって江戸時代の約300年間に作られたものなのですが)、
「改革」なんてとんでもないという性格です。
で、気が付けば世界の中で特異となり、時代後れの「妖怪」の姿へと変貌を遂げました。
世界中が病んでいるといっても良いでしょうが、我が国での戦後の道は「世界の国と共に明るい希望が見える」道でなく、
全ての事の関係において「独立」でなく「従属」への歩みの道です。
その現象がここにきて溢れているということですね。
一部の人たちだけの意見が通る国でなく、この国の全ての人たちの意見が反映される社会へと、
とにかく少しでも前進したいと思う私です。
私の道は私が選ぶ。
後悔ではなく納得のいく道を選びたい。
「我慢」でなく「納得」の道です!





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