八重山日報コラム
「SNSの怖さ」を改めて感じます。
【掲載:2024/11/24(日)】
音楽旅歩き 第243回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【「SNSの怖さ」を改めて感じました】
都知事選といい、衆議院選挙といい、そしてアメリカの大統領選、今回の兵庫県の知事選も、SNSの果たした役割は想像を超えて恐ろしいものでした。
どの選挙も大方の予想を超えて結果は違ったのですね。
身近では、兵庫県知事選は目を見張りましたね。その逆転劇、それは投票日の数日前に大きく動きました。
SNS(X・Y、つまり旧TwitterとYouTubeが有名です)がその役目を担ったようです。
「真実が曲げられていた」「知事は虐められて可哀相」「正義はこちらにある」と言って選挙日数日前に熱狂する県民が突如現れる。
テレビや新聞などはフェイクであって情報を信じる事ができない、だから県知事を応援すると。
有権者がテレビや新聞よりもネットで流れて来るSNSを信用したのですね。
知りたいときに手早く情報が見られる。ただただ流れてくるだけの情報源、確かでないSNSを信用したわけです。
突如地下水が溢れ出てくるように勢いよく感情丸出しで知事を応援する人たち。
取材をした記者の報告では〈今まで選挙に興味がなかった主婦たちが多くボランティアで集まって来た〉。
その事がまたSNSで拡散され、広く全国に伝わった。
選挙と言えばいつも思うのですが、それはまるでアイドルのファンクラブのよう。
人々がカメラを向けて記念写真、握手を求め、候補者を追いかける。
近くで会える候補者は既にアイドル化している。「大衆」とはいつの時代であってもこういうものなのでしょう。
人心を操ることに長けている人にとっては恰好のチャンスです。
短絡的な思考、感情的、直情型。こういった人々が煽動されやすい。
活字離れしている昨今ではいとも簡単にその罠に陥ります。本来、信用できる情報とはそう簡単に手に入るものではありません。
ある程度の時間と真実を観る知識が必要なのですが、大衆は直ぐに答えを教えてくれるものに手を出す。
今回の騒動、真実を検証する手間を省いた故の結果です。
それにしても、知事を推した方と批判している方とが同じ言葉を用いてその後も応酬が続けられ、
どちらもが相手に向かって「知識が無い」と言い争っているのは可笑しいというか、滑稽です。
妙な事が世界で起こっていますね。
こうした中で私が熱くならないで平静でいられるのは「人間は愚かな生物」だと諦める事が出来たからでしょう。
その上で、だから「人の平安、安らぎを求めて確証しながら生きる人生」を生きているからでしょう。
人って何故そんなに短絡的で居られるのでしょう。「怖さ」を知っている者にはこれほどに怖いものはありません。
SNSを見直したいですね。上手く使えばこんなに素晴らしいものは無いと思っているのですが、ただ、今はもっと磨かないといけない代物です。
鍛えてもっと良いものに仕上げて行かなくてはなりません。
使って良いものにしたいですね。人間の質が問われます。
SNSがどんなに優れていても扱う者の人格がその結果を左右するのです。
「怖い」のです!