八重山日報コラム
音楽家が仕事をするとき楽譜に関わることを避けるわけにはいきません。特に作曲、編曲といった作業にはコンピュータ無しでは難しくなっています。
【掲載:2025/01/07(日)】
音楽旅歩き 第246回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【新しい木を植えましょう。地球を支えるような根を持つ木を】
紙(五線紙)にこだわって書く人もいますが、今ではデータとして手渡せるコンピュータ派が主流ですね。
私もこの部類に入るのですが、後の処理を考えると便利です。しかしながら書くならば絶対的に紙の方が有利です。
それは楽譜は音符も含めて絵の要素が強くあって、文字処理だけで済むわけではないからですね。
90%以上は絵を書いているような作業なんです。
なので、手作業にむいていて、その方が早い。
そして手書きの音符は個性も出るので音楽を表現するにはやはりこちらの方法に軍配が上がります。
ですが、消しゴムを使わなくて良いとか、出版するとか、演奏者用にパート譜を作るといったことは電子化したデータ処理がやはり便利。
個性が出にくいとか、入力テクニックを身に付けなくてはならない、といったマイナス要素を越えて主流になりました。
現在良く使われている楽譜制作ソフト(アプリ)が「Finale(フィナーレ)」です。
他にもありますがこれがスタンダードでしょう。多くの作曲家や編曲家が使っています。
このソフト、本当に多機能で素晴らしいのですが、バージョンアップごとに進化したものの、少しツギハギの感が拭えません。
そして年末ついに、開発/販売終了を発表しました。
使っているものにとっては衝撃です。
まぁいつかはその時期もあるだろうとコンピュータを使う人間ならば想像していたでしょうが、それが訪れたという事です。
人からコンピュータへと未来に向かって人間は進むが、どのようにして何処に向かうのか。
身近な所で起こっていることから私は思うのですね。
アップデートは必要、しかしその事で大切なのは構造の根っこ、基礎、土台がしっかりと築かれたものでなければならない、なんです。
適切な未来像を持っていなくては基礎づくりはできません。 事を積み重ねていく進み方。そしてどう想像するかが一番重要だと。
話は戻って、「フィナーレ」はこう締めくくっています。
後はドイツ生まれの「Dorico(ドリコ)」に託すと、バトンタッチしたのです。
さてさて、また初めからやり直しかと、しばらく静観していたのですが、譜面作りを止めるわけにもいかず、恐る恐る始めました。
そして使い始めてから気づくことは「フィナーレ」より使いやすいという事。で、上のような思いを持ったのですね。
人間も同じです。禊(みそぎ)をしたかの様でも、反省したかのように見せても、根っこを語らずして、結果を出さずして信用は有り得ません。
飛躍しますが、思いは「教育」へと至ります。根っこがしっかりと根を張った人間作りは教育でしょう。
親から子へ、先生から生徒へ、社会から個人へ。その堅実な内容は日本には欠落しています。いや、欠落してしまったのです。
土を掘り起こして新しい木を植えなければなりません。
急務だと私は強く思いますね。