八重山日報コラム
最近、空を見ては感動します。花を見ても感動。自然の中のその不可思議に畏怖の念を抱きます。
【掲載:2025/03/02(日)】
音楽旅歩き 第250回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【人の心を計る事は難しい しかし見定めねば先に進めない】
人間的なものに対して疲れを感じたならば、自然の中に身を置くことです。そうしなければ心が押し潰されそうです。
人間の心にとって、人との軋轢と自然界の大きな「安らぎの揺りかご」の両輪が必要なのでしょう。
それが「生きる」ということに繋がるのだと、最近頓に思います。
大きなニュースが飛び込んできました。大統領二人が「首脳会談」で喧嘩をする。そんな事、歴史上初めてだそうです。何て大人げない出来事。
そしてその後も子どもの喧嘩のようなやりとりと、その数日後には何とも無かったかのように物事が進む様。
世界を唖然とさせた会談。それはショーアップの様でもある。多くの人が死んでいっている戦争中のトップ会談。
関係国を大きく巻き込んでの歴史的出来事でした。
国際関係は複雑です。その要因は人の数だけ絡み合って簡単に解決できる問題ではないでしょう。
しかし、「人でしか解決出来ない」ことも確かです。この当事者も関係者も、空を見て、小惑星が地球に近づいていることなど眼中にないのでしょうか。
一方、我が国でも軋轢が起こっています。星の数ほど起こっていますが、その象徴的なものがある県での出来事。
知事と議会が摩訶不思議な争いをしています。物柔らかに映ってもいますが、いやいや、あれは相当に双方が血相を変えた争いです。
人が「固執」すればどんなに恐ろしい状況になるかの見本です。
県民にとってはもう傍観などできません。SNSで行われたと言ってもよい知事選挙。
人の思惑、欲が絡み合った「民主主義」の姿を露呈しました。
選挙で「支持を得て勝った」と思う人、「騙されたかも」と疑念に思う人・・・・・・。
「人としての限界」を思い知らされる事象です。
温暖化による地球規模の大災害も「人が起こした」ものとして考える人が多くなりました。
そんなこと「何処吹く風」とまだ本気で対策を考えようとしない人たちとのコミュニケーションも「ままならず」です。
これは何処まで行っても「平行線」が続く、としか思えません。
「生存」を巡っての価値観の対立ですからね。
もっと大きくて広い視野でもって物事を見なくては解決の方向は見つからないでしょう。
「理(ことわり)」を持って〈人〉も〈出来事〉も見る。知恵を持って。
しかし私は、これに重要な一点を付け加えたいと思うのです。
それは「人の命を疎かにはしない!」です。
「人間が人間の命を断つ」いや、「人間が人間を貶(おとし)める」、これが許されるならばどのような策であっても解決の道は見つからないと思うのです。
上に書いた事象でも「人が亡くなった」事実がありました。
それを消すことはできません。その後のどんな「言い訳」も心には届きません。
一人が、また多くの人間が「犠牲」にならなければならない事なんて、どんな価値があると言えるのでしょう。
大統領は何処を見ているのか?
知事は、県民は何を見ているのか?
私は水平線と空と花を見ます。