八重山日報コラム
現在ではSNSを毎日長時間見ている人は多いはず。無視できないアイテム(道具)となっていますね。
【掲載:2025/07/13(日)】
音楽旅歩き 第254回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
【SNSの楽しさと怖さをもう一度確かめましょう】
私も一日に2時間以上、スマートフォンを手に取って何やら指を動かしていると思いますね。
原稿を書くにも、スケジュールを見るにも、天気を知りたいときも、そして色々なメモを取るときも、その類のアプリを駆使して整理しています。
SNSは見ないようにしてからしばらく経っているのですが、自身が発信するものについてはやはり取り出し、使っていることはあります。
その時にチラッと流れてくる記事を見れば、一瞬に拒否反応が起こるような明らかなフェイク記事だったり、罵詈雑言の文字が飛び込んできて不快な気分にさせられます。
SNSについては盛んに論議されていて、国も積極的に対処する姿勢を明らかにしています。
専門家による会議も盛んに行われていると聞いています。
SNSで一番気をつけたいのは「フェイク(にせもの)」の情報ですね。
そういったものはいかにも本物らしい言葉で人を引きつけます。
それに直ぐ影響を受ける人が多く、その人個人に収まっていれば何も問題はないのですが、それを人に知ってもらいたいとの「善い行い」として広める。
実はこれが問題を起こす元なのですね。
「良心」からの行動、でもそれがフェイクだとすれば「すみません」で済まされないことに成り得ます。
どのようにSNSのフェイクを見破るか。それには直ぐに信じないで、重要な事柄ならば真意を確かめるべきですね。
例えばお店や料理の評判を知りたいとき、時間をかけてスマートフォンで調べますよね。
でもSNSに流れてくる記事は調べもしないで拡散する。これは少し考えて見るべきでしょう。
「誰が発信しているか」信用できる人か組織かを調べるのは簡単ですし、その記事に関連した他の記事も得ようとすればそれも簡単に見つかります。
最近では、今話題のAI(エーアイ)の技術でどんなフェイクの記事や動画でも簡単に作ることができます。
専門家も見間違うほどの精度だ、とも聴きます。結局は観る人間の「洞察眼」が問われるのですね。
ちょっと「イタチごっこ」の感じもしますが、フェイクかどうかの判断の必要性はこれからも続いていくことでしょう。
悪気は無くても「正義」と思えばどのような「悪事」も犯してしまう。それが人間でしょうね。
そうでなければ、歴史上でも、現代でも酷い犯罪など起こってはいないですよね。
「正義」と信じる行為は怖い。と今更ながら私は思います。
何度も言い、書いていることですが、テレビや新聞・雑誌を丸々信じること無く、その関心ある話題について、顔をつきあわせて意見を交換するのが一番良い方法だと思うのですが、どうでしょう。
便利になった現代。でも「機械」には落とし穴がまだまだあります。
それを是正するのはやはり「智に長けた人間」ということでしょう。