八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.255


【掲載:2025/08/10(日)】

音楽旅歩き 第255回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【久しぶりの石垣島、談笑の中に嬉しさと幸福を感じました】

 石垣島に三泊四日の日程で滞在していました。コンサートを終えて一目散に来島です。
慌ただしい四日間でしたが充実の時間で、癒やしとエネルギーを沢山頂きました。
新聞社への訪問挨拶。そして久しぶりに会いたかった人との談笑。
それは、二年以上会っていなかった期間が幾日間であったかのように思える一時でした。時は止まっていたかのようです。
石垣島はいまどうなっているか?それが訪れたいという心の底にあった本音です。いつも心配でしたから。
市政のことが気になりつつ、町の景観はどうか、観光客の動向は?人口の増減は?物価高は?生活は豊かなのか?心の豊かさは充実しているのか?です。

 八重山は島故の独自の問題を抱えています。
日本は大陸に対して弓形(ゆみなり)。
東を見ればその先は太平洋を挟んで米国。その距離は「はるか遠く」です。
西を見れば日本海を挟んで中国とロシア。
地球儀を見れば日本海は池のように見えます。「ちょっとお隣」ですね。
その関係の中、弓形の下端に位置する八重山。
大陸、特に中国との関係は台湾(有事)と共に緊張関係として話題に上ります。島の生活はこの関係の良し悪しに影響を受けます。
今や最前線となった石垣島はどのように変化しているのか、いないのか。この眼で、耳で確かめたいと訪れました。

 感想は本土となんら変わりない!ということでしょうか。
敢えて変化を言えば、少し問題の本質に気が付き始めたというものでしょうか。
それはきっと自衛隊配備の事と無関係ではありませんね。より身近な問題となったからでしょう。
話をしながら私の以前のような「苛立ち」「心配」は少し緩和しました。喋っていても話題が共通するようになったからです。
些細な事なのかも知れないのですが、どれ程にこれまでと違った「幸せ感」を味わうことができたか。
「一緒に考えて行く」という道を見たのだと思います。

 帰阪して数日後、人類史上初めて核兵器の惨禍を経験した広島で行われた「平和記念式典」。
ライブで見聞きしたのですが、市長、子ども代表、総理大臣のメッセージに目頭が熱くなりました。一人、部屋で泣きました。
原爆体験はなくとも想像するだけでも、生命を失われた多くの人、その悲惨さ、また関わった多くの人たちのその後の人生、
そしてこの国の歩みが、私の頭の中をグルグル回って涙が止まりません。
それぞれのメッセージには共通点がありました。若者に向かってのメッセージだったのですね。
過去と未来を繋ぐために、いまこの現在、行動に現してほしい、顕していきましょう、との呼びかけでした。
他の意見を聞くことでしょう。自身の意見をより研ぎ澄ましていくことでしょう。
人を尊重し受け入れ、自身も受け入れて貰うことでしょう。
人類が創造してきた多くの芸術、文化を知り、いまこそ人間の尊厳を基とした真のコミュニケーションを築き上げていくべきだと受け取りました。
石垣島を久しぶりに訪れたこと、本当に良かったと思っています。





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