八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.262


【掲載:2025-12-07 (日)】

音楽旅歩き 第262回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  當間修一

【「遙かなるクリスマス」に再び心が騒ぐ】

 さだまさしさんが作った「遙かなるクリスマス」を再度編曲しなおして今月演奏しようと思い立ちました。
今から20年ほど前、2004年発売になったCD「恋文」に収録されている曲です。それを当時、団員の車の中で聴いた時の衝撃を思い出します。曲のメロディーもハーモニーもそれはシンプルでした。編曲が素晴らしいのが解ります。そして何よりもその歌詞に引き込まれました。泣きました。二度車の中で聴きました。二度目も泣きました。
その後その曲がヒット。しかし、私が思うようにはなかなか社会的には目立つこと無く時が過ぎた感。でもその年のNHK紅白歌合戦で「紅白歌合戦バージョン」で歌われたことで日の目を見たようです。
 当時の私は、心に響いた曲ならジャンルにこだわること無く編曲して演奏していました。その頃のJ-POPの分野には日本人の心に残る曲が多数生まれていたのではないでしょうか。さだまさしさんは不思議な人です。才能に恵まれた数少ない人であることは間違いありません。切ない心を熱唱で歌うかと思えば、どこかつかみ所が無い言動も持っている。決して過激で狂気的な所は見せない。しかし、内にある目は厳しさを感じさせ、柔軟にして強い。その自己を見つめる青年のような風情と性格が好かれて多くのファンがいる。私なども隠れファンと言えるかもしれない。
 雪の降るクリスマスの日、ある男が愛する人の所へと向かおうとしている。不意に爆撃のニュースを見るも「関係ないこと」だと知らぬ顔で歩く。しかし彼は気付く。自身の欺瞞に気付く。「君を愛している!永遠に幸せであってと叫びながら、自分の幸せばかりを求める卑怯な僕がいる」そして「世界中を幸せにと願う君と、いえ、いっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる」と。歌唱力を伴って一人の男の悔恨の念を歌い上げる。最初に聴いた衝撃はあからさまに綴る言葉としての力強さだったと思います。
街の賑わいと戦場。幸せを手にした者と幸せを奪われた者。幸福が不幸を生みだすというジレンマ。そのような様々な思いを映し出す曲として私は聴いたのでしょう。
 20年前と比べれば我が国も変化。様々な分野で、統計の数字は明らかに衰退を表している。世相も「戦前の様」との意見もあれば、「いや、もはや戦中」と言う人も居る。人は何処を見て暮らしているのだろうか。足許ばかりを見ているのではないか。地平線の向こうを見、水平線の向こうを見たいと思う。未来を観たいと思う。その地は平和なのだろうか。どのような人々が暮らしているのだろうか。どのように暮らしているのだろうか。
 「遙かなるクリスマス」が生まれ、沢山の人が聴いた。しかし、世の中は変わらず衰退の途を歩んでいる。その曲をまた演奏する。さだまさしさんの様には歌えないだろうが、私が受けた衝撃を聴いて頂く人にも伝えることができれば、そう強く願って、クリスマスに歌う。いま地球上で起こっている不幸な事を思い起こしたいです。勝ち誇ろうとする人で無く、傷つき、死んでいく人たちを。





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