八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.263


【掲載:2025-12-28(日)】

音楽旅歩き 第263回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  當間修一

【「楽しい事」を皆で探しませんか?「楽しめる」ように生きませんか?】

 例えばの話です。会費を集めた役員が勝手に相談無く使ったり(着服)すれば憤りを持ちませんか。
隣町が襲ってくる(噂がある)というので身を守るために「銃」を備えますか。
まだ処理法が見つからないのに「ゴミ」を出し続けますか。
くすぐるように甘く、優しく、丁寧な言葉に乗せられて、結局それは詐欺だったということはありませんか。
しかし、これらの事が我が国では〈国レベル〉で行われている、あるいは行おうとしているように思われてしかたない。

そのように思われないような仕掛けとして、"X"などの投稿だけで無く、今ではテレビでそれを助長するかのような番組も目立ちます。(断言的な主張「誰々は黙れ!」とか「何々党だからダメ」とか)で、その内容、根拠の説明が無い。)
フェイクや陰謀を防ぐために報道の規範も一応ありますが、それも段々緩められていく、いや突破しようとしているかの様にも見えます。
世界中その様な動きがありますが、その中の先進国ではまだ少しながらも知性が働いていて健全さを感じます。
数十年前はその先進国らが我が国を褒め、称えていた時代が有りました。敗戦後、その働き振りが、行動が常に注目を集めていました。学問も芸術も、生活の基盤である国民性も注目されていました。
しかし、今やその面影は無く、驚異的と思われていたのが脅威として立ち現れている。それはどうしてでしょうか?
私は我が国を誇って間違いないと信じて芸術活動を行っています。その確信はコンサート毎に聴衆を見て増しているのです。
しかし、どうやら国が目指す方向は信じられない動きを見せている。それが2025年の年末。
「経済」とは本当に難しい。学問だけで解決するものではない。人の思考が、志向が経済を動かす。
「防衛」も同じ、人間が信用できないという「恐怖心」が人の心に不安を与える。「護る」のではなく「攻撃」の姿がちらつく。
人間社会のモノの価値観が全て「金(きん、かね)」に依って計られてはいないか。その価値観では、一人一人に異なる顔があるという見方は無くなっていく。有るのは、「私」と「私に利益をもたらすか、もたらさないか」という不確かな判断だけ、関係だけ。
 人間は計りがたい。複雑かつまだまだ観えない部分が多い。しかしながら、世界の医学は顕著に、そして科学技術は間違いなく向上し続けています。あと考えなければならないのは、〈人間こそがそれらを潰していかないか〉という事だけです。
人間にとって、そして地球にとっても良い環境を作り上げるのは「人間の底知れぬ強欲」にどう立ち向かえるか、ということだと私は思うのですね。
「楽しい事」が一杯有るというのが幸福です。体を壊してしまうほど美食に明け暮れるのは楽しいですか。人を傷つけ、殺してしまう事が楽しいですか。使い切れないほどのお金を持っていても満足できない自分が居るというのは楽しいですか。
「楽しい事」を皆でしませんか?ワイワイ・ガヤガヤとお喋りし、唄を歌い、踊り、盃を交わしながら人生を生ききる。
私はそれが一番好きです。





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