八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.269


【掲載:2026-05-17(日)】

音楽旅歩き 第269回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  當間修一

【「沈黙に勝る防御はなし」】

 「沈黙は金」という諺もある。これは我が国に浸透しているようです。
意味は沈黙を守ることで相手の勢いを削ぎ、対立がエスカレートするのを防ぐというもの。沈黙は得策として、知恵として用いましょうとの提言でしょう。
確かに効果ある手段です。私も敢えて、使うようにしています。何でも本音は喋らないといけないと思っている私ですから、少し頑張って使っているのでしょう。沈黙の時間を置けば相手が冷静になれますし、考える余裕も生まれてコミュニケーションが取りやすくなります。
ドイツ語圏・英語圏を含むヨーロッパに広がった言い回し「沈黙は金(Silence is golden)」、これが本来の意味でしょう。
しかし経済が優先され、商売の取引などで攻略的、戦略的に使おうとする人たちによって(これは企業戦士たちに多いでしょう)用いられると意味が異なります。私のようにひねくれた者にはどうもこれは〈胡散臭く〉聞こえて素直には聴けません。利益だけを追求していては大事な事が抜け落ちると捉えてしまうからです。
 他紙にも書いたのですが、我が国には特有の文化が有ると思っています。それは「人は抑圧を受け続けると『物事を諦める』ように成る」という性格です。地震、台風といった繰り返し起こる地理的条件での災害。そこから「自然には勝てない」「抗(あらが)えない」「仕方ない」という思考。そして江戸時代(1603ー1867)264年間で身に付けた身分制度が加わって決定的になりました。
 「沈黙は金」が我が国で異なった意味合いで用いられていると思うのです。
我が国には「民」が権力ある者に立ち向かって勝つといった経験がありません(権力有る者同士による抗争は有りました。民は一時的な〈おこぼれ〉でいつも終わります)。
徹頭徹尾、上下関係が続いたわけです。これは抑圧に抗おうとしたしたが、結局は「服従する」で終わるということ。「民」の意見はもみ消されるという歴史です。残念ながら今に続く我が国の実情です。
「民」は諦め、無抵抗の民となる。ただただ〈時が解決してくれる〉といった「待つだけの人」に成る。
 一方、「民」の中には強い者(抑圧者、権力者)に取り入って保身を図る狡猾者が現れます。これを断ち切らない限り従属関係が更に強まって「民」の格差、分断は深まります。根っこに有る人間の「闇」を照らす光の訪れは遠のくばかり。スパイラル構造が続き、問題の根本は何ら変わらず残り続けます。
 「価値ある沈黙」でなければなりません。価値あるものにするために、できれば沈黙を投げ打ってでもお喋りしませんかと提言したいです。「沈黙」の後、気が付けば命が危ぶまれる状況になっていた!それだけは避けたいです。
意見を公にすることの苦手な我が国。その歴史から見ても脱却が求められると思うのですがいかがでしょう。「民」の意味がまだ幼い段階である我が国はどうすれば欧米諸国に並び、欧米諸国を越え、アジア圏での地位を確立する事を願う、それが私の意見です。





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