時々「教材は、作り込まれるほど、授業で使いにくくなる」という話を耳にする。 そういうわけで、この問題について少し書いてみたいと思う。 「教材は、作り込まれるほど、授業で使いにくくなる」理由として、たとえば次の事が考えうると思う。
さて、本当に教材を作り込む事は良くない事だろうか。 結論から言えば、
だと私は思う。詳しくは
と主張したい。 上で書いた、教材を「作り込んだ部分に生徒が特に興味を示さ」ない場合について。 誤解を怖れず、少し過激な事を書くと、それは、 たとえば、すごく時間をかけて作られた2次関数を説明する動画を携えて、授業に臨む。 こう書くのは、正直、このように感じる数学の教材が、いや、教科書の中にすら、十分に作成者が分かってないと感じる部分があるためだ。 教材を作り込む人は、どの部分をどのように作り込む事が、本当に生徒のためになるかをいつも考え、正しく実現していかないといけないのではないか。 次に、「作り込んだ部分に生徒の注意が強くいって」しまうことについて。 これは、教材が授業に合わせられる柔軟なものである必要もあるだろうし、同時に、教員も教材に合わせた授業スタイルを柔軟に模索する必要があるだろうと思う。 生徒の注意を強く引く、良い教材があるなら、それを授業で使うというより、その教材に教師が合わせることもあっていいと思う。 さて、冒頭でも書いた通り、この13th-noteの高校数学教科書(検定外)は、とても作り込んでいます。 何より、作り込んだのにうまくいかないことがあったとしても、作り込む試行錯誤がない限り、正しい作り込みは永遠にできるようにならないでしょうから。 |