「先生、数学って何?」
こんな問い、正確に答えられるわけが無い。
そもそも、答える人がどんな考え方をするかによって、答えが異なってしまう。
しかし、それは分かっているけれど、言葉にしてみようと思う。
「数学とは、道具であり、言葉であり、思想である。」
数学は、古くは天文学や航海術などに、ここ300年くらいなら物理学、機械工学などに、ここ100年くらいなら化学、地学、生物学、経済学などに、多くの便利な道具を提供し続けてきた。
その結果、現代ほど便利に生活ができる時代は、有史以来、無い。
この数学という道具はあまりに便利なので、その道具の多くを、【コンピュータ】というモノが、使いこなすこともできる。
人間が、そのモノに、正しく教えた場合に限るけれど。
数学の式を、すべて、日本語で書き直せば、本は何倍の分厚さになってしまうだろうか。
4倍して3を足しても、2倍してから5を引いても、結果が同じような数を求めると
左上の数式と、右上の日本語を比べるだけでも、数学という言葉がいかに簡潔であるか、わかるであろう。
しかし、数学という言葉も、外国語を学ぶのと同じように、それ相応の訓練が必要になるのです。
現在の数学においては、【正しくないものは、間違っていることに等しい】という思想が前提にある。
もちろん、その思想が正しいかどうか、誰にも分からない。だいたい、世の中はそんなに単純でない。
でも、これくらい単純な思想がちょうど良いときもある。
ただ、数学が、すべての人が安心して使える道具・言葉であるには、【正しい】か【間違い】の二択への制限が、必要になるようだ。
数学でさえ、一度決められた【正しい】も、後の時代には【間違い】である可能性もある。
言葉は、正しく伝わっても真実の一部。誤解されれば真実の一部ですらない。
でも、それでも、言葉にしないといけないときは、拙くても、言葉にしないといけない。
将来、もう少し真実に近い言葉を残すためには。