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※読み返してみて、文章の読みづらさをたくさん感じたので、
本旨を変えずに文章に手を加えることを試みました。
念のため、古い文章も残しておきます。(2010-10-09)
私の基本スタンス †
私は基本的に、デジタル教科書が導入されることには賛成です。
しかし、教育現場に携わった経験から考えるに、現在では変化が激しすぎます。
たとえば、定期テストだって、デジタルでなく手書きで作る先生はまだたくさんいますし、
成績の集計にパソコンを使わない人も、まだかなりの割合でいます。
そのやり方が、その人にとって一番やりやすく、変える必要性を感じないからです。
一企業が上からのトップダウンができる環境で変えるのも大変だろうに、
全国に何万もの組織を全部変えるなんて、相当の覚悟と準備が必要なはずです。
キーボードと学習 †
ここで、少しデジタル教科書とピントをずらして、
次の問題について取り上げたいと思います。
キーボードと記憶定着 †
- 「キーボードを打つことによって、記憶は定着できるのか」
しばしば、「書いて覚える」ことが、学習の効果を高めます。
この「書く」を「キーボードで打つ」に置き換えて
同じ効果が得られるのか?という問題です。
実際に、デジタル教科書はキーボードを用いない、
指やタッチペンで書き込む予定とのことなので直接は関係ないですが、
(タッチパネル入力よりキーボード入力の方が主流であろう現在において)
皆さんにも、想像していただきやすいのではないかと思いました。
キーボードで打ってノートをとって、学習できるのか? †
「書いて覚える」前は、人々は「聞いて覚える」ことをしていました。
まだ、文字が一般的でない時代の話です。
文字が一般的になる前は、知識の伝達・学習は、
(他者や自らの)口から発せられる言葉により、聴覚で行われていました。
また、眼の前に実物や模型を用いて、視覚で行われていました。
逆に言えば、文字を通じて知識の伝達・学習することは、
その経験に慣れていないと難しいことです。
実際に現代でも、テレビなどに慣れすぎて、文字を通じて学習することが苦手な人たちがいます。
「文字を通じて学習すること」を学習し損ねた人にとっては、
怠けて文字を読み飛ばしているのではなく、
「文字を通じて学習する訓練ができていない」だけであろう。
教育の現場にいると、そういう子供には時々出会います。
さて、ここで取り上げたいのはその先の話です。
「紙に文字を書く、書かれた文字を見る」ことによって学習することから
「キーボードで文字を打ち込む、ディスプレイに表示された文字を見る」ことによって
学習はどうなるか、ということです。
たとえば、(文字情報中心の)学校の授業を、
- 紙のノートに書いて板書する人と、
- PCのキーボードを打って板打する人とでは、
どちらの方が、効果的に記憶に残るだろうか?
キーボードを打つ学習の長所と短所 †
今のところ、私は、キーボード打ちをした方が記憶に残りにくい、という結論を持っています。
ただし、小さい頃からキーボード打ちを中心に学習をしたらどうなるのか、私には分かりません。
(そういえば、浦沢直樹の「MONSTER」というマンガに、
自分の指がキーボードを打ち込む操作をすることによって、
自分の記憶を引き出す人物が登場します。モデルは実在するのだろうか?)
とはいえ、上の結論を導くに当たり、考えたことを書いてみようと思います。
長所について †
キーボードを打つ、という操作による学習はいくつかの利点があります。たとえば
- 記録するスピードが速い
- 検索ができる
- 複製が簡単であるうえ、かさばらない
- TB単位のハードディスクが存在しいまだ膨張する現在、キーボードで打った情報が増えても全くかさばらない
- 一方、紙ならば、記録すればするほど、記録に必要な紙は増える
- 他者との共有が簡単
などです。
短所について †
しかし、上の長所のうち
- 記録することが速いということは、一つの言葉に触れる時間が短い
ことを意味します。紙と鉛筆ならば、書くだけで覚えられたことも、
キーボードを打つだけでは覚えられないことが多々あります。
しかし、私が感じる最も大きな欠点は
- (現在市場に出回っている)キーボードを打つという操作は、文字を書くのに比べて大変高度
であることです。なぜ、キーボードの下から3段目、左から2番目のキーを押すと「あ」(ないし「A」)と表示されるか。
なぜ、こんな「あ」を構成する曲線(ないし線分)が表示されるのか。
自分の体のどこも、そんな曲線や線分を描く運動をしていなません。
正直なところ、私はこの齟齬が今でも少し苦痛です。
脳は、デジタルにはできていません。デジタルな情報を脳に入れるには、
脳のどこかで変換をしないといけない。それが、紙と鉛筆の場合は必要ない。
これが、「キーボードを打って学習する」ことの欠点であり、
今でもコンピューターをいっさい触れない人が一定数存在し、
多くの人が「コンピューターは苦手」と言う原因ではないかと、私は感じています。
キーボードは「脳からのアウトプットは得意」だけど「脳へのインプットは苦手」 †
私の考えでは、デジタルは、脳からのアウトプットには大変適していると思います。
文章が頭の中でまとまってから、それを実際に文字として書き出すまでが、
デジタルならば格段に速い。修正も容易。共有も容易。かさばらない。
一方で、脳へのインプットに対しては、デジタルは不得意ではないかと思います。
文字情報を脳へインプットするには時間がかかるから。
脳の生物学的な構造は、パソコンが発展しようと変わりません。
だから、脳へインプットする能力には限界があり、こことデジタルにどう折り合いを付けるのか、
大変重要になると思います。
続きます。
その3では、話題を「デジタル教科書」へぐっと近づけたいと思います。
続く>>私見その3〜歴史から学ぶ